*看病* ある日、珍しく南が学校を休んだ。 昨日まではあんなに激しく千石辺りを怒鳴り散らしていた南なのに、今日は打って変わって体調不良で欠席。朝練に顔を出さなかったから相棒の東方は不思議に思っていたが、学校が始まる直前に南からメールが入った。 『今日休む』 淡白なメールだったが、それが南の現在を表すのには充分なものであった。要するに長文が打てないほど重症なのだ。それから東方も慌てて返信をするも、南からの返事が来たのは最初の授業が終わった後。決して授業中にメールを寄越さない律儀な南に思わず感心してしまった。病人のくせに変なとこは気にする… とりあえず熱が出て、そのダルさから身動きが取れないらしい。そして南は何も言わなかったけど、多分家に今日一人でいるはずだ。きっと心配する母親を説得して仕事に送り出している、と東方は予測を立ててみた。気遣われることが苦手な南だから、孤軍奮闘しているに違いない。 そんな想像を授業中に駆り立てた東方であったが、考えれば考えるほど心配でたまらなくなってきた。もう今すぐ早退届を出して駆けつけたい所だが、逆にそんな事をしてしまうと南に「サボるな!」と怒られてしまう。 だからせめて昼までは待とうと思った。この際午後の授業と部活はボイコットだ。こう見えても東方はあんまり何事にも冷静に動ける鉄壁な精神などは持ち合わせていない。更に南のこととなると取り乱す節もある。 だがそれは南への想いの強さ故、彼をそうさせるのだ。 多少の小言は覚悟の上だ。 決意を固めれば、もう東方は時計との睨めっこ状態であった。時計の針が一分一秒でも早く進んでくれるように睨みつける。しかしそういう時に限って時計はのんびり回るもの。 ジーッといかにも怪しい東方の動向。たまにチラッと南の席に視線を合わせれば、誰もいない寂しげな席が東方の心に哀愁を漂わせる。やはり普段一緒にいる人が、例え1日だけとは言え、姿を見せなかったら辛いものだ。 ―一刻も早く南の元へ駆けつけないと…どうせ昼とか食べようとしないんだろうし― テニス部にとっても、これからが大事な時期なので、部長の欠席は部員の士気に関わる。1日も早い復活が望まれるのだ。何と言っても東方自身、まともなダブルス練習も出来ないだろうし。 そんなこんなで、看病のために早退する理由は沢山あるのだ。南が無理矢理追い出そうとしたら、今さっき考えたことを言ってやればいい。そしたら南も何も言えなくなるはずだ。 東方は今度は先生に伝える早退の理由を必死で考えながら、午前最後のチャイムが鳴るのを待つ。一つ呼吸を吐いて心を落ち着けると東方は小芝居に入った。元々体格に比べて顔は健康そうには見えない自分だ(多分)。南と同じく体調不良で早退を勝ち取ろうとしている。 キーンコーンカーンコーン… そしてついにチャイムは鳴った。東方は慌てず俯き加減でそろそろと教室から静かに去った。行き先は勿論担任のいる職員室。 ガラガラ…と弱々しく扉を開けると戦闘開始であった… 東方が職員室に入った5分後。 再びガラガラとひ弱に扉を開けて退出してきた東方。失礼しました…と言い終えた後、彼の表情にはあからさまな一筋の光が差していた。廊下の歩く速度が増していき、表情は徐々に型崩れし始める。笑みが自然と零れ落ちた。 彼は勝ち取ったのだ、早退を。南が嫌うウソまでついて。まさに背に腹は変えられない状況。 教室に戻った彼は、カバンを持って友人に一言声をかけて、颯爽と学校を去っていった。もう仮病なのは何となく友人にはバレていたみたいだが、でも南の家にまで行くことまでは誰にも予想は出来ないだろう。 しかし東方は学校を去る前に校舎内で偶然千石とすれ違っていた。一応体調不良で早退すると告げたものの千石は真に受けた顔をしていなかった。きっとバレた。でも引き返す選択などない東方は、学校を出て真っ直ぐに南の自宅へと向かうのであった。 早足で、もはや行き慣れた道を進み、タイミング良く止まったバスに乗り込み、苦しんでいるであろう南の元へ急いだ。一応携帯メールで今から行く旨だけ伝えて。バスの中では電源を切った。マナーが宜しいですな。いや、案外南の反対意見を見ないようにしたのかもしれないが。 運がよく20分ほどで南家に到着した東方。とりあえずインターホンを鳴らしてみる。だが誰かが出てくる気配はなかった。つまり家族は皆出払っている証拠だ。東方は恐る恐るドアノブを持つと、ゆっくり右に回してみた。するとドアは無抵抗に東方を招き入れる。 きっとメールを見た南が開けてくれたのだ。 東方はきちんとドアを閉め、施錠も怠りなく、南が寝てるだろう二階の部屋へと向かう。 階段を駆け上がり、部屋の前まで来ると数回ノックした。すると中から弱々しい南の声が東方の耳に入る。自分が職員室で使った声とは似ても似つかないものだった。 「南ー?大丈夫か?」 ガチャとドアを開けて、今日初めて南と顔を合わす。どこか東方は緊張していた。 「う、ん……」 気だるそうにベッドの上から返事をした南、やはり相当寝込んでいる様子。 東方は持ち物を適当に置かせてもらって、すぐに南の元へ移動する。熱のせいか頬が紅潮している。そっと手の甲で南の首元に触れると、とても熱かった。 「熱…あるな、測った?」 しかし南からは返事はない。 「……ひょっとして測ってない?」 再び尋ねなおすと、今度は素直に南は頷いた。そしてこう呟いた。 「人間…知らない方が、いいってことも…あるだろ…」 つまり自分の状態を詳しく知りたくないのだろう。もし大層な熱があったら気分的にも参るだろうし。でも東方はそれを許さず、ベッドの傍らに置いてあった体温計を半ば強引に南の脇に差し込んだ。 「動けないくらい調子が悪いんだったら、体温くらい測っとけよ」 厳しく指摘されて、南は一瞬拗ねた顔を見せるけれど大人しく東方に従っていた。しかし体温計が温度を測りきるまでの間、しばし沈黙が流れたのだが、南はふと部屋の時計を見て、率直に沸いた疑問を東方にぶつけた。 「お前……学校は?」 ギクッ……東方の身体が一瞬跳ねて、その後しばらく硬直していた。色々と言い訳は用意してきたけれど、いざ弱った本人を目の前にしたら中々言い出せないものだ。しかしそんな様子がおかしい東方を前にしても南は熱で正常に思考が働かないのか、不思議な顔でただ見つめているだけ。 すると二人の沈黙を引き裂くように、体温計がピピピと音を届ける。東方はそれに助けられた形で、話題を熱の方へ持っていった。南も特に疑問を抱くことはなかった。 「38.5度か…結構あるな、頭冷やしてやるよ。あっ南、昼はどうする?薬飲むのに何か食べた方がいいだろ」 「うん……昼は、いらな…」 「ダメだ!ちゃんと持って来てやるから食べなさい」 そう言うなり、階下へ消えていった東方。何をそんなにムキになっているのか南には不思議で仕方がなかったが、とりあえず面倒見てくれるらしいので大人しく従っておこう、と南は思った。 ―そういえば母さん、薬…そこの机に置いておくって…― 朝の母の言葉を思い出し、やはり飲んでおかないと帰って来た時に何を言われるか分からない。ここは東方が持って来てくれる昼食を素直に食べよう。少量でもいいから。 そしてしばらく一人での時間が流れて、南は横になりながらボンヤリと天井を眺めた。するとドタドタと東方が階段を上がってくる音が聞こえた。とりあえず上半身を起こし、部屋に置いてある硝子のテーブルまで移動しようと身体に力を込める。だが思ったより体力がなくて、身体が意思に反して動くのを嫌がる。 「南ー、多分おばさんが作っていってくれたんだと思うけど、下にお粥あったから温めて持って来たよー…って、何を無理して動こうとしてるんだよ」 片手で軽々と南の食事を持ちながらドアを開けた東方、だが中の光景は誉められるものではなかった。 「ほら、寝た寝た」 食事をテーブルに置いて東方は南を再びベッドへと戻す。首まできちんと布団をかけてあげると、それから末恐ろしい言葉を吐いた…南にとって。 「ちゃんと俺が食べさせてやるから」 ブフーーッッ!! 思わずカラカラの口から胃液が噴き出すかと思った南、自分の耳を真っ先に疑った。しかし幻聴ではないらしく、次は奴の頭を疑った。 「な…何?……いっいや…自分で、食べれるから…別に…」 …と言ってみても、東方の笑顔は変わらない。これは状況を楽しまれているのか、本気で親切心のつもりなのか、今の南に判断は不可能だった。どっちのつもりでも性質が悪いとは思えるが… 「ほら、南。口開けてー」 しかも南が戸惑っている間状況は悪化を辿り、ついに目の前にお粥を乗せたスプーンが登場した。だが南は一向に口を開こうとせず、アレがやりたがってるソレは断固拒否した。 「…いい、自分で食べる…」 そして、スプーンを寄越せ…と南は手を差し出した。 けれども東方も頑固に渡そうとはしない。 「南ー、何となく嫌がってる理由は分かるけど、ここは素直に言うこと聞いてくれよ、病人なんだし…早く復活してもらわないと」 「だから、自分で食って…薬、飲む」 小さな攻防であったが、互いに譲ろうとはしなかった。微妙に南の息が上がっている。熱が上がってきたのだろうか? 「でも…大丈夫か?何か顔色が……」 「いいからスプーン寄越せって言ってるんだよ!!…ウッッ!うう…」 ついには真っ赤な顔をしたまま南が怒鳴り始めた、だがいつもの持続力はなく、すぐに撃沈したが… もう東方は自分の意志を通すことなく、素直に南にスプーンを渡した。すると一口お粥を食べてくれた。 「…美味しい?もうちょっと食べる?」 「う…うん、もうちょっと…ハア、ハア…」 南が頭を抱え始めた、どうも具合が悪化したらしい。でもとりあえずもう一口分、お粥をすくって南に手渡した。すると一気に口へ含んで瞬時にスプーンを返された。そしてぐったりと枕に頭を預ける。 「だ…大丈夫か?やっぱり無理するから…」 …と、東方は心配の眼差しを向けるが、南からしたら「お前のせいだ」と言ってやりたい気持ちだ。でも何とか二口だけでも胃に放り込めたので、後は薬を飲んで寝るだけだ。だがその前に今のやり取りからか異様に汗をかいてしまった、寝間着が張り付いて気持ちが悪い。 「……汗かいて気持ち悪い…」 「あ…タオル持って来たから、身体拭けるよ」 「…サンキュー…、よっと」 南は上半身を起こし、上に着ていた長袖のTシャツの首元を指で掴み一気に頭から抜き取ろうとしたが、何故か寸前でそれを止めた。そして数回瞬きをして、一度東方の方を見た。 「どうした?」 そう聞かれたけれども南は何も答えず、もう一度Tシャツに手を掛けた。だがやっぱり隣の人が気になって、脱ぎ捨てられない。そんな気持ちを抱えたまま動作を止めていると、またもや東方から脳天直撃の一言が飛び出す。 「ぬ、脱がそうか?」 「いっいい!…脱ぐ、自分で脱ぐ!」 慌てて否定をして、変な意識持った自分を軽く心で戒めた。確かにこんな状態で止まっていたら相手も変に思うだろう。 南は潔く上を脱ぐと、適当に布団の上へ置いた。上半身裸の状態になって、次のステップは身体を拭くこと。南は手を差し出し東方の右手にあるタオルを要求する。でもやっぱりここで意思の疎通が上手くいかない。 「ああ、それくらい俺が拭いてやるよ」 ―言うと思った…このバカ…― ガックリと肩を落とし、再び追い詰めるような視線を向けた。 首を横に振り、構わず手を差し出し続ける。 「いいって…身体ダルいんだろ?拭いてやるって、遠慮しなくても」 遠慮とかの問題ではないのだ。 あまりに頑なに南が否定をするから東方も何か察知したみたいで、はあ…と一つ大きな溜め息を吐いた。 「南…何かやらしいこと想像しっ、ウグッッ!!」 全てを言い終える前に、南の鉄拳が顔面に飛んできた。威力は弱いが。 そして改めて南を見つめると、大きく目が見開いて充血せんばかりの念力を送り続けている。この時東方は思った…全く世話をさせてくれなくて、実は物凄く嫌われているんじゃないかと。自分が早退してまで来た意味が果たしてあるのかどうか、今のままでは判断がつけなかった。 とりあえず今回も仕方がないので、水で絞ったタオルを南に渡す。するととても大ざっぱに身体を拭き始めた。でも敢えて口出しせず、ただジッと見守る。その見守るという行為が南にとって恥ずかしい事とは気がつけない東方であった。 すると途中で南の手が止まる。どうやら手が届く範囲は拭き終えたようだ。ここでやっと出番だというように東方は南からタオルを受け取る(奪う)。 「背中は拭いてやるよ、いいだろ?」 東方の問に南は無言だった…それはむしろ否定をしなかったという意味で捉えた。だから力無くしてあまり動かない南に今日一番近づいて、背中を拭いてあげる。文句が出ないのだから一応は感謝されてるかもしれない。 だが、東方の頭の中は既に次の疑問で埋め尽くされていた。 上半身はこれでクリアだが、変な意味でなく下半身はいいのか?といった疑問だった。でもそれを口に出すと凄く南は怒りそうだ、そしたらまた熱が上がってしまう。今肩に触れている掌からも南の異常な体温が鮮明に伝わってくるのに。 「よし、終わり。着替え取ってくる」 素早く南から離れて、タンスから適当に上の服を取り出した。もう下のことにはふれないでおこうと東方は思う。着替え終えた南も心なしか表情が少しスッキリしたような気がした。相当汗が気持ち悪かったのだろう。後は薬を飲ませてゆっくりと眠らせるだけだ。 後編に続く。 |