―哀れな男―


暑い夏が過ぎ去り全国大会も終え、山吹テニス部の三年は引退した。
毎日テニスで忙しなかった毎日が途端空白だらけで南も東方も暇を持て余していた。千石はそれなりに毎日をデートという予約を入れまくって、むしろ青春を謳歌している。だが引退したからといってテニス部に出入り禁止な訳では当然ないから南も東方もよく顔を出していた。南の跡を継いで部長となった室町も快く迎えてくれている。

新学期が始まって、まさしく新しい生活の始まりのような秋の新鮮な空気に南がようやく慣れてきた頃、彼は夏の忙しさに追われてうっかり失念していたことを突然思い起こされるのだ。

その日はただの週末…の筈だった。

南と東方、そして珍しく千石も放課後の部に顔を出していた。後輩指導に力が入り、いつもの清々しい風景がその場所にはあった。
だが事件は唐突に練習後に起きる。

「ふー…お疲れー、またな」
今日の部活が終わり、三年の三人は部室へと上がる。数人の後輩に混じりながら汗を拭き帰り支度をする。そして現役の時の癖か、三人は着替え終わった後椅子に座ってそのまま雑談を交わす。南と東方は隣に座り、テーブルを挟んで正面に千石が座る形で。

そうこうしている内に後輩も先輩に気遣ってか次々と退室していき、最後まで遅く居残っていた室町も今日の部長としての仕事を終えたのかやっと部室に戻ってくる。
「あれ?まだいたんすか?別にいいですけど」
その室町の言葉に嫌味は含まれていない。夏前まではよく見られた光景がすぐ目の前にあって少し懐かしさのようなものを感じていたが。

「ああ、悪いな、長居しちまった。俺らもそろそろ帰るか」
南は部室を占拠してしまった事に少し引け目を感じて残りのニ人に声を掛ける。じゃあそろそろ…と立ち上がり始めた頃、室町が何かを思い出した風に三人を呼び止める。
「あっ…ちょっと待ってください!そういえば渡すものがあったんですよ」
そう言って先輩を引き止め室町は自分のロッカーを開ける。南たちも何だ?何だ?と注目して立ち上がったまま後輩の動向を見守った。

そして事件は起きる。

「東方先輩、これ後輩一同からです、どうぞ」
「ん?俺か?もう引退祝いなら貰ったぞ?」
「ああ違います、これは誕生日プレゼントです、明日ですよね?」

そしてその場の空気が凍りついた。

室町の発言の中に『誕生日プレゼント』という爆弾が含まれていたのだ。しかし部員も皆仲の良い山吹テニス部では誕生日プレゼントを渡すことは比較的珍しくはなく、だから男同士でプレゼントを渡して祝うことを大して恥ずかしくないのだが今回はまた別の意味で場が凍ってしまったのだ。

南と千石の動作がピタッと静止している。表情も固まったままだ。

そんなおかしい二人の様子に真っ先に気付いたのは室町で、東方にプレゼントを渡した後二人に声を掛ける。
「どうしたんですか?千石さん、南部長も」
そして東方も振り返る、突然時が止まってしまった二人を不思議そうに見つめる。

それからしばらくたって、二人はようやく現世に帰ってきたのだが、今度は青い顔をしながらポツリとこんなことを呟き始める。

「…誕生日って…明日だっけ?…9月9月…10日…、あっ明日か!!」

南は跳ね上がるように驚きの表情を見せ声を荒げる。千石も小さく頷きながら掌に拳を縦にポンポンと下ろし叩いて、今理解しましたよ〜という態度を見せる。
そしてこの二人の行動からある切羽詰った状況が浮かび上がってくる。二人ともとっても正直な反応だ、これでは悟られない訳がない。

南も千石も東方の誕生日のことをすっかり忘れていたのだ。室町からその単語を聞くまで。

東方と普段から一番近い位置にいる特別な存在な南も、そういったお祭り事が大好きな千石も、まるでそれだけ抜け落ちたかのように失念していた。また夏の全国大会で忙しかったことも当然理由にあるが、それでも申し訳なさで二人はいっぱいだった。

「すまん!東方!俺っその〜っ、ついうっかり」

「あーメンゴメンゴ!この埋め合わせは必ずするよ、東方〜」

「…え、あ…いや、その……」

南と千石に深々と頭を下げられ謝られて、少し東方は戸惑う。確かに忘れられていたことはショックだったが、でもそんなに謝られてしまうと本当に忘れられていた身として心境的に空しさが込み上げて妙に寂しくなってしまう。
するとそんな三人に見かねたのか室町はズバッとこの場で率直な意見を吐き出す。

「忘れるなんて…最低ですね、千石さんに南部長まで」

この発言も決して悪意が含まれていた訳ではないのだが(多分)、二人の心に突き刺さったのは言うまでもない。普通忘れますか?と手厳しい指摘が含まれた室町の一言は東方に対する申し訳なさを更に引き立てた。

「あーもう室町の言うとおりだよな、本当俺うっかり…、ゴメンな…」
「本当に南まで忘れてるとはねえ、おぬし中々のワルよのう〜」
「お前も忘れてたじゃねーかっっっ!!!」

そしてうっかり言い争いまで始めてしまい、東方はもうポカーンと口を開けるしかなかった。室町はハア…と溜め息を吐いて、もう関わるまいと火の粉が注がれる前にそっと戦線離脱する。我知らずと帰り支度を始める。

「夏忙しかったからって酷いよなあ〜俺らって!」
「ううっ、だから悪かったってさっきから謝ってるだろう!?お前ももう少し申し訳なさそうにしてろよ!」
「いや、もうケンカするなよ二人とも、俺のことはいいからさ」

ますます居たたまれない東方、自分のせいで言い争わないでほしいのが本音だ。しかし懐かしいこの感じに千石が味をしめたらしくて南を更にドツボにはめようと火に油を注いでいる。また南も簡単に乗せられるから格好の的だ。一度走り出せば急には止まれない性格だから。

「俺はちゃんと埋め合わせはするって言ったし、週が明けたらお祝いするよ?」
「なっ!ん…?でもよく考えてみれば誕生日って明日なんだよな、何だ間に合うじゃん!なあ東方、明日にでもさっ」
「いいよ別に無理に祝ってくれなくても、さあ…二人ともそろそろ帰ろう」

そしてようやく激しい口論も止んだが、南の言葉に対して東方が思わぬ冷たい態度を取る。まだ誕生日前日であることから当日にはまだ間に合うと南は意気揚々であったが、まさか祝ってやる相手本人に軽く流されてしまうとは思わなかった。あまりにも予想外で、え…と南も戸惑うが、さっさと部室を退出した東方の背中は決して勘違いなどではなく南を突き放すようなオーラを発していた。
つまり東方は………

「…あ、あれ?…なんかあいつ、やっぱり…怒ってるのか?」
南は途端おどおどしながら共に一部始終を眺めていた千石と室町にそう零す。だが案外千石は深刻な表情など浮かべてなくて、ただ「当然じゃない?忘れられて嬉しい訳がないでしょ」とあっさりと南に対し返答してみせる。
「だっだからお前だって忘れてるんだから、そのデカい態度は何だよ…」
「でもオレに忘れられるのと南に忘れられるのじゃあかなりワケが違うと思うよ?何てったってオレと南だよ?精神的ショック受けちゃったんだろうなあ、そこんとこ自覚ありますか〜?」
「ま、なんとなく東方先輩が怒りたくなる理由も分かりますけどね」
「えっえっ…そんな、じゃあどうしたら、どうしたらいいんだ?どうやったらあいつの機嫌直るんだよ?」
突然二人からまさかの集中攻撃を浴びて、南は太刀打ちできないままその場で慌てふためく。当事者の東方がいない場でこっそり話が進行していた。

「どうしたらってそんなの南が自分で考えなよ、奉仕して奉仕して奉仕しまくったらさすがの東方も機嫌直すんじゃない?」
「ほ、奉仕…?どっどうするんだ?」
「だから自分で考えなって、それともオレが助言してあげようか〜?」
「あっいや、いい!お前なんかに頼ったらいつもロクな目に合わないからなっ!もう分かってるんだからな!」
その時千石はひっそりと心の中で、やっと南学習したか…としみじみ成長を祝いつつちょっぴり寂しくもあった。正直南にはもっと使えるネタを提供してほしい。けれど何度も痛い目にあってる南にとって今頃ロクな目にあわないと確信しても、はっきり言って遅いのだが。
すると最後のまとめ的発言が現部長の口から放たれる。

「とりあえず、誠意見せたらいいんじゃないんですか?」

冷静な一言に南も千石も「もっともだ」と深く頷いて、しっかり者の後輩に納得させられた。

そしてやっと二人は部室を出て外で待つ東方と合流し無事に帰路につくんだけれども…妙な空気はそう簡単に払拭されなかった。
南が明日について何か話しかけようとしても東方は「もういいよ」の一点張りで、その話題を避ける。けれども南の気も当然済まなくて、ここで挫けず何度も機嫌を直してもらおうと、せめて明日会う約束だけでも取り付けようと必死だ。それを後方で静かに観察している千石、二人の様子を見てしみじみ大変だなあ〜とまるで他人事のように(まあ他人事だが)気楽な立場であった。

「なあ、怒ってるんだろ?だから悪かったって、反省してるから…だから明日ー」
「怒ってないって、夏で忙しかったんだからしょうがないし、俺本当気にしてないから」
「じゃあ何でそんな冷たいんだよ!さっきから謝ってるだろう〜!?」

事態はいつまでも平行線で次第に南が焦れていく、誠意を見せようと最大限努力しているのに軽くあしらわれて、上手くいかないことに腹を立て始めている。しかしそれでは全くの逆効果だと後ろから見物していた千石は突然南の耳を引っ張り一つ忠告してやる。

「南、逆ギレはまずい、ここは我慢我慢…」
「イタタタ…あっ、そっか…悪い…、って耳離せ!!痛いだろうが!」
「なんでオレにも逆ギレよ…南、とにかく落ち着いて!」
「お前が急に耳引っ張るからだろうが、痛いんだよ、おっ落ち着けばいいんだろう?」
「そうそう」

彼らは一応小声でやり取りをしています。けれど後ろで二人がこそこそしている姿にこそ東方は余計に自分が除け者だと感じてしまうかもしれない。千石は半分(以上)面白がっている節があるので、南を応援しているようで実は話がこじれるように持っていっているのかもしれない。まあそれでも、もう二人とはお別れの時間なのだが。

「さっ!じゃあオレはここでお別れだから〜、ばいばーい二人とも!」

千石は最後まで見届けられないことを心の中では残念がり、もういつもの場所で気まずい状態の2人を仕方なく残して自分はさっさと笑顔で家に帰っていく。来週頭がとても楽しみだ。

そして南はその時「もうっ!?」と心の中で驚きながら内心とてもハラハラしていた。一応平静を装って引き攣った笑顔と手だけは振り返してやったが。
機嫌が良さそうにさっさと自分を見捨てる千石の背中を見ていると、その気楽な立場が本気で羨ましかった。遊ばれているとは露知らず。まだまだ南は修羅場の途中で、やたら頑固になっている東方をこの先どう和らげてやるのか、最善の策なんて何も思いつかない。奉仕しろと千石は言ったが自分にしてやれることなんてほとんどないのだ、そうほとんど。

「な、なあ…、じゃあ明日はもう諦めるから、せめて何か欲しい物とかないか?ほんと何だっていいから…」
「……また来年期待してる」
「なっっ!!ダメだダメだっ、今年じゃないと!俺もずるずる引き摺るからさ、頼むよ!」
「だから俺がいいって言ってるんだから気にするな…そういう事もあるさ」

そしてまた会話が止まる。南はガクッと肩を落とし、自分もどうにかと意地になっているが相手もなんだか意地になっていて祝わせてくれない空気がプンプン漂っている。意地と意地とのぶつかり合い、そうなると南も引くに引けない。こうなれば今日はとことん付き纏ってやろうと一種の開き直りにも近い作戦を立てる。向こうが折れてくるまで、元々自分に非があるし…何としてでも名誉挽回したくて一生懸命なこの気持ちを受け取ってほしい。心の底から祝ってやりたいと思う気持ちを簡単に拒否なんてさせてやらない。

―意地だ!こうなりゃな、でも逆ギレはまずい…冷静に冷静に!―

東方の隣で同じ速度で歩き、無言でも潰されないように南は気を強く持つ。このまま後味の悪い結末なんて迎えてしまったら、この週末は気分最悪だ。更に来週の月曜も何となく顔を合わせ辛い。

―絶対、ありがとうって言わせてやる―

そんな南の決意は固く、帰り道も後残り僅かとなった。もう少しすれば二人は別々の道を歩んで先ほどの千石のように「さよなら」をする。きっと東方も南の『誕生日攻め』から解放されると密かに喜ぶのであろう…しかし南は一度こうと決めたら曲げられない人物であって…

あるポイントを過ぎても南は東方の隣から離れようとはしない、さも当たり前のような顔をしながらぴったりと同じ道を行く。東方は少し冷や汗をかきながら、もうこの道はこれ以上進んでも南の家には決して辿り着けない、本人も分かっているはずなのに何故か南は帰ろうとしない。

―ついてくる気か…はあ、完全に意地張ってるな…俺もだけど―

「…南、もう分岐過ぎたぞ?」
けれど一応ツッコんでおこうかと東方はあえて口にする。
すると速攻返事がきた。
「別に俺がどこへ向かおうと勝手だろ?」
逆ギレしてる割にはそれは穏やかな口調だった。

どこへ向かうなど分かりきったことは今更問い詰める気も起きない東方だったが、まさか誕生日の前日にこんな展開が待ち受けているとは思いもしなかった。きっと一番最低な迎え方だろう。何故こんな互いにギスギスし合いながら一つの家に向かわなければならないのか、一応友人を超えた(むしろ超越)付き合いもしているというのに。

東方自身も今となっては何故こんなに冷たい態度を取り続けるのか、自分でもよく分からなくなっていた。南に誕生日を忘れられていたのが余程ショックだったのか、しかし自分の中でこの誕生日を重要視していた訳でもないし忘れられて気分が良いとは思わないけどそこまで腹を立てる理由もない。けれど千石とダブルでそれを聞いて少々アンニュイになったのは確かで、その後必死で間に合わせようと頑張られてしまい、なんだか自分に大事な日を忘れ去られた可哀想な子のイメージが鮮明に湧いてしまったのだ…暗いとか思われようとも。

―頑張られると余計に気にする…、一生懸命さが逆に辛い…―

けれど不思議なことに、そんな気持ちを南に伝えようとはせず、言ってしまえば振り回すだけ振り回している状態だ。まあ伝えたところで素直に納得してくれるようにも見えないけど。東方は一つ溜め息を吐いて隣に存在する信念を曲げる気のない南の視線を感じて少々困惑する。一体このまま自分についてきてどうするつもりなのか、南の思考は読めない。

南も東方も一歩も引かない中で歩みだけは確実に東方の家に向かっている。
無言でも目的地は自然と辿り着ける。
二人は普通に一緒に家の中へ入り、東方は母親に声を掛け南も「お邪魔します」と言い会釈する。そして二階の自室へ主よりも先に南は向かった。後から東方も二人分の冷茶をおぼんに乗せて追って部屋に入る。
ドン!と頑固オヤジのように南は胡座をかきながら目的達成までここから一歩も動かぬと篭城作戦に出る、だが癇癪を起こしている訳ではなさそうだ。手段は強引だが表情からはやはり反省の色が伺える。

「ほら、お茶飲めよ…後夕御飯も食べていくだろう?母さん用意するって」
「そうか、じゃあ頂いて帰る」
「……ふー」

東方はデスクの椅子に座りグッとお茶を喉に流し込む。まだまだ秋とはいえ残暑は厳しい。一息吐いて少し気持ちを落ち着ける。すると南からまた例の話が切り出される。

「…なあ、本当にその…何もいらないのか?折角の誕生日なんだしさ…その…」
「何が言いたいんだよ南」
「だから…えっと、お前の気の済むようにしてくれていいし…」

「何だそれ?」


2へ続く。




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