*失踪*


18歳となる誕生日の朝、赤羽はいつもと同じ時刻に目覚める。本人には全く今日が特別な日であるという自覚はなく、昨日となんら変わりない日常の一部だった。一人暮らしでもあるから朝目覚めても祝ってくれる家族もいない。

淡々と玄関口から新聞を取り出して、コーヒーメーカーを作動させ、台所の棚から素っ気無いパンを一つ取り出し朝食の準備をする。何だか今日は目覚めが良かった、自然と赤羽は上機嫌になるが表情には何も出ない。だが代わりといっては何だが珍しく歌を口ずさむ。ステージ場以外では基本赤羽はあまり歌を歌わない。誰もいない空間で逆にリラックスしている証拠でもあった。

だが突然誰もいないはずのこの部屋から自分に話しかける声が聞こえてくる。


「さすが王子、容姿どころか綺麗なお声までお持ちになっているとは…」


「っ!………誰だ?」

聞き覚えのない声に、真後ろから…というよりかは床の方から聞こえてきた。赤羽は不法侵入者の姿を確認しようとゆっくりと振り返る。だがそこに人影はなく、今度はそっと床の方に視線を張り巡らせる。すると…

「どうもお初にお目にかかりまする、我々は地球より遥か離れたパペポ星という名の惑星からやってまいりました」

そんな自己紹介までされて、しかし赤羽はまずその言葉の内容よりも相手のその小ささに驚いた。まるで掌サイズ、一寸法師なみだ。丸い頭に手足は先が尖がっており、そんな者の姿が5人は確認できた。話しかけてきた者は代表なのかヒゲを生やして年配のイメージだった。けれどそんな宇宙の方々がここに一体何の用なのか、既に宇宙人という存在を赤羽は否定していない。それもビックリだ。

「…一体何故ここへ?僕に何か?」

「はい我々は貴方様を迎えに来たのです、実は貴方様は我々の惑星パペポ星21代目の正当なる王位継承者、王子であらせられます」

「…………君たちの惑星の王位継承者?」

そんな信じがたい話を持ち出され赤羽は目を細める。彼らが言うようにもし赤羽が真の継承者ならば当然赤羽自身もそのパペポ星人ということになる。だが赤羽はれっきとした地球人でありこの日本で生まれ家族もいる。まず人違いだと考えられた。

「…申し訳ないが人違いだ、僕はこの惑星の住人だ…現に身体の大きさもこれだけ違っている」

「いいえ貴方様は我々の惑星の王子です、元々惑星は内戦続きで王子はその身の保護の為この平和な地球の日本という国に転生されました。そして18の誕生日を迎えた時、必ず迎えに上がると我々は約束をしたのです、18になれば王位は継承可能となり王不在の我が惑星にも念願の王復活となりえます、皆貴方様の帰還を待っているのです」

「…なにか証拠でもあるのかい?僕が君たちの惑星の王子だという証拠は」

「その赤い髪に赤い瞳、それが何よりの証拠です、今王子は確かに人間として生活をなさっている…しかし王を継承する者、身体の大きさは我々と違い人間のような大きさでもあります、けれども一度この地を離れたら王子には必ずパペポ星人特有のこの二本の触覚が頭部に必ず現れる…」

話は妙にとんとん拍子で進むが、あくまでも赤羽は信憑性が欠けるとして彼ら宇宙人の話を鵜呑みにはしていない。確かにこの赤い髪と瞳は突然変異だと父と母からは聞かされている。両親ともその家系を遡っても、今までこの風貌のものはいないらしい。だがだからといってそれがイコール異星人とは結びつかないのだ。

「王子を探している貴方方には申し訳ないが、僕はやはりその話を信じられそうにない、そしてもし僕が異星人だったとしてもこの惑星を離れることはない、人として生きることを選ぶ、この地を離れることはない」

もうここには自分の生活がある。それらを全て捨ててどこにもいける訳がないし、そんなつもりは毛頭ない。例え自分が異星人であると証明されてもその気持ちは変わらない。

「いいえ、王子には必ず帰っていただきます。我々がこの惑星での王子の暮らしぶりを何もご存じないとお思いでありますか?ずっとこの18年間、我々は王子を遠い惑星から見守ってまいりました、ですから王子のことは何でも知っているつもりではあります。音楽は勿論のこと今はある競技に没頭されているようで…」

「……ああ」

「人として生きたいというお気持ち、この18年間のことを思えば当然でありましょう、しかしそれでも王子はこの惑星の住人ではない、確かに今の王子の姿は地球人そのものでありますが、競技とはフェアプレイで成り立つ物でありましょう、この惑星のものでない王子が本来参加すべきでないのです」

「しかし僕は人間だ、何か特別な能力を持っている訳ではない、自分という存在がこの世界で大きく抜きん出ているとは考えられない、僕の持つ能力はあくまで人としてのレベルのもの、反則を犯しているつもりはない」

「…やはり強情なお方だ…ではまず王子がパペポ星人であることを証明しましょう」

そして赤羽の身体は宙に浮く、小人たちも同じくして宙に浮き、次の瞬間彼らの身体は一瞬にして消えた。行き先は何と……宇宙空間だった。

「…っ!」

だが生身の人間が宇宙空間に耐えられるはずもなく、酸素も得られない状態で赤羽は思わず口を塞ぐ。けれど息を止め続けるにも限度があり、このままでは自分は死んでしまうだろう…こんな状況でも赤羽は冷静に分析していた。だが小人たちは平気な顔でこの宇宙空間で浮いている。ジッと赤羽を見つめて、まるでその変化を待ちわびるかのように。

―だ、だめだ…もう息が続かない…、意識が…遠く…………な…―

限界は訪れて、フッと意識を失う寸前の出来事だった。

身体に何かの衝撃が走り、まるで殻を打ち破るようなパキパキといった音がして、赤羽は思わず目を開く。すると赤く光り輝く自分の身体に、先程まで纏っていなかった王族のローブであろうか…それを身に纏い、そして頭には二本の触角が生えていた。

―……………っ!―

それは勿論赤羽にとっては衝撃的な出来事だった、半信半疑どころかほとんど信じていなかった話が現実の物となって自分の姿を変えてしまった。そしてこの宇宙空間で生き延びているという事実…息ができる…というよりは空気が存在しないのだがら息はしていない。それでも自分の身体は宇宙に適応してしまっている。すると突然脳に直接誰かが語りかけてきた。

―どうです、これでもまだ貴方様は地球人であると主張致しますか?一度地球を離れてしまえばこの通り…王子は王子となります―

―……空気がない場所ではテレパシーで会話をするのか……、とにかく元の場所へ帰してくれないか…―

―分かりました、さすがに貴方様もお認めになった様子ですね―

そしてまた一瞬のうちに彼らの身体は元の赤羽の部屋へ戻ってくる。その時赤羽の格好は元の衣服であり触覚も消えていた。どうやらその状況に適した身体へ逐一変化していくらしい。

「………これでお分かりになったでしょう、貴方様はこの惑星の住人ではない」

「……正直、驚いた…宇宙空間でも耐えられとはね…」

宇宙空間で人は装備無しに生き延びられない、そんな当たり前のことがこんな簡単に覆されてしまった。理論派の赤羽にはとんでもない非現実的なことをその身に体験した訳だ、そして認めざるをえない現実。
けれどだからといって赤羽はそのパペポ星とやらに行く気はさらさらなかった。この地球には家族もいるし仲間もいる、幸い人の形を保っていられるのならこのまま何事もなくこの世界で暮らしていきたい。

「……しかし、それでも僕は戻る気はない、戻るという言葉にも正直違和感を覚えている、元々その惑星の記憶すらない僕に帰らなければならないという概念もない、悪いが帰ってくれ」

「そういう訳にはいきません、みな貴方様の帰りを待っていると申し上げたはずです、それに先程も申しましたがこの惑星で身体を大きく使うスポーツに王子が参加されることはこの地球上の選手にも失礼な話であるということ、頭の良い王子ならそのことがお分かりになるでしょう…、私も無礼を承知で申しております、この罰はいつでもお受けしましょう」

「……………この惑星の人間でない僕がこの惑星の競技に参加すること自体が罪であると……?」

「そうでございます、王子にもたくさんのお仲間がいることも重々承知です、随分と苦労なさったことも。だからこそこれ以上そのアメフトという競技を続けることはその大事になさっている仲間たちへの裏切り行為に当たると言えるでしょう…」

「裏切り…」

その時赤羽には昨年の4月の出来事を思い浮かべていた。その大事にしている仲間に正面からその言葉を赤羽は吐かれた。重く響いた言葉で、あの時のコータローの叫びがなければきっと自分は今この東京の地にはいなかっただろう。
そしてここでアメフトを続けることが償いでもあり、そして唯一前に進める方法だと赤羽は思っていた。
けれど今この小人たちはアメフトを続けていくこと自体を裏切りだと話すのだ。

「確かに今の王子のお姿はこの地球に適した形を取っている、もちろんテレパシーも使えなければ息をしなければ生きていくことさえも出来ない…人間そのものではありますが、しかしそれでも貴方様はこの世界の住人ではない、潔く身を引くべきです…利口な貴方様でしたらこの意味が理解できるはずです」

「僕にこの世界を捨てろと?」

18年間過ごしてきたこの日本という国も、両親も妹も音楽仲間もチームの仲間たちも…コータローも全て見捨ててこの地に置いていけと?

「捨てるのではありません、どうかお諦めになってください」

「勝手なことを…」

自分の今までを知っていると自信有り気に話していたが何も分かってはいないと赤羽は思った。確かに自分は感情を表に出すことが苦手で傍から見ればそれは楽しくないように映っていたのかもしれない。しかしそんなものは他人の勝手な憶測に過ぎない。赤羽はこの18年間をとても有意義に過ごしていたと思っている、辛いこともあったがその分分かち合える喜びも大きい。

「今はチームにとっても大切な時期だ、抜ける訳には行かない」

「この地の去るのなら早い方がよろしいでしょう、まだ大会も序盤のはず。この先もっと大変な局面に出て貴方様が罪を感じて去るようなことになればもっとチームは混乱に陥るでしょう、我々とどうかお戻り下さい」

「…断る」

「それはなりません、何としてでもお連れ致します。それに失礼なことを申すようですが…この地にも貴方様と敵対するような人物もいるようにお見受けします、随分と近くに野蛮な輩の姿が見えておりました…そしていつも酷い言葉で罵倒されていたはずです…そんな者に心優しい王子が心を痛めていないはずがない…やはりそれぞれが相応しい場所へ行くべきです」

「……それは彼に対する侮辱だな、非常に不愉快だ」

赤羽には一瞬で誰のことを言っているのか分かった。それは何とも外面からしか二人を見ていない誤った見解であり、得意気に指摘されたが随分的外れな意見だった。だが確かに一般的な友人関係を結べていない事実はあるのかもしれない、暴言は毎日のように吐き出されるし態度も確かに悪い。けれどそれが彼のすべてでないと赤羽は理解しているし、尊敬もしている部分がある。

「ですが余りにも気の優しい王子に対し無礼にもほどがあるでしょう、それとも地球で言う友情とはそんな罵りあうような野蛮なものなのですか?本当はどこかで王子も傷を負ったはず…もしそれでも大切に思っておられるのでしたら、やはり早くこの地球から去るべきでしょう」

「……………話は後にしてくれ、もうここを出る時間だ」

半ば疲れたような表情を見せる赤羽だが、とにかく雑音の聞こえない世界に一時逃避したくて仕方がなかった。けれどそれすらも彼らは許そうとしない。

「いいえ残念ですがこの部屋に結界を張らせていただきました、王子はある時を除きこの空間から出ることは適いません、どうかご決断を」

「出られない?勝手に結界を張ったのか、まだ戻るとも何とも返事はしていないはずだが…なるほど、力ずくでも俺をここから連れ出す気か…乱暴だな」

「お気を悪くされないよう…我々も使命を帯びてここへ王子を迎えに来たのです」

要するに閉じ込められてしまった訳だ、赤羽は身動きが取れないことを知るとすっかり冷め切った苦いコーヒーを口に含む。これが悪い夢なら早く覚めてくれと思った。だがどうやら現実に起きてしまったことらしい。例えこのまま篭城してもいつか食料は尽き無理にでも自分は連れ戻されてしまうんだろう。見かけよりも性質の悪い連中だと思った。

「………ある時以外とは?」

ある時を除きこの空間から出られないと確かに従者は言った、ならば例外もあるということだ。どうにかしてこの空間を抜け出したい。

「……ある時とは……王子が誰かに別れを告げに行くその時だけ一時的に結界はその効果を失います、ですが勿論我々と共に惑星に帰ることが必須条件ですが。そしてそれはたった一人だけに許されます」

「帰ることを前提………たった一人、時間は?」

「夜のみです、別れを告げた時点でこの地へ戻されましょう、逃げ出すことなど不可能です、どうかご自分の意思で決意なさってください、貴方様の運命をどうか受け入れてください」

赤羽は聞けば聞くほど絶望を味わってしまう。もう自分に残された選択肢も僅かしかない、どちらにしろここに残ることは許されないのだろう。だが未練ばかりで決意なんて到底出来そうにもない、しかし確かに異星人である自分がこの惑星の競技に参加することに対する違和感は認めざるを得ないだろう。人の形をして人としての能力しか出せないからと言ってやはり安易に踏み込んではいけない領域なのかもしれない。
懸命に上を目指す者を知っているから余計にそう思えてしまう。

裏切り行為…

知らずに行っていたとしたらまだしも、全てを知った上でそれを続けてしまえば確かに罪悪感はいずれ残るだろう。
理屈で考えれば元ある場所へ全て帰るのが正しいのかもしれない、しかし赤羽も情のない人間ではない。簡単にそんな決断を下してしまうほどこの地を愛していない訳じゃない。出来るならば死ぬまでここで人として生きたい。

裏切り行為…

また自分は仲間に対し彼に対し、行おうとしているのか。
それだけはあってはならないと願う。

赤羽はこの閉じ込められた空間で頭を抱えながら拷問のような選択を迫られていた。

そしてこの日の学校には当然行ける訳もなく、通信手段も全て遮断されているのか部屋の電話も携帯も鳴ることはなかった。勿論こちら側から使用も出来なかった。





一方盤戸高校では…

「ねえ…赤羽が何の連絡もなしに休んでるみたいなんだけど…何だか変じゃない?」

赤羽と同じクラスの部員からはっきりしない事を聞かされてマネージャーの沢井は、コータローと同じクラスであることから一応その件について意見を求めてみる。

「あぁ?こんな忙しい時期に無断欠席かよ、練習にも来ねぇと思ったらよ、携帯に連絡入れてみろよ」

「え?うん……そうだね、電話は何だか繋がんないらしいだけどメールなら気付いたときに返信くれるかもね、誰かさんと違って律儀だし」

「それは俺のこと言ってんのかよ!!案外寝坊でもして昼辺りにひょっこりと出てきやがるぜ」

「あんたじゃあるまいし…、でもそうだったらいいんだけどねー大会中に何だか不安」

勿論誰も今赤羽の置かれている状況など知りもしないのでまだ楽観的だ。
けれど結局ジュリの携帯に返信が来ることもなく、昼からひょっこり現れるなんて事は赤羽の状況を考えたら無理な話だった。
一応今日の練習は赤羽抜きでこなしたが、やはり大黒柱がいないと練習もしまらないし何だかコータローも調子が悪そうだ。けれどやっぱり明日になったら何事もなく顔出すんじゃないかって皆は楽観視しており、誰もわざわざマンションまで尋ねに来る事はなかった。


だが夜になって…


就寝時間が元々早めなのか、この者は午前0時になった時点で既に深い深い眠りについていた。何の悩みもなさそうな幸せな寝顔を披露している。ゴワーとごろごろと寝相も悪そうで何とも豪快な眠りだった。

そしてそれを光のもやに包まれて空中に浮かんでいる赤羽は冷や汗をかきながらその様子をジッと眺めていた。

つまり彼は選んでしまったのだ。

これはそういうことだった。

「随分荒々しい寝相だ…でも君が羨ましいよ」

いつでも自由に自分のしたいように行動する彼、もし彼ならば自分の立場に置かれたらどんな行動を取るのだろう。話してみたいが、余計なことを口にすればすぐさま自分の身体は部屋に戻されるだろう。

「……まさかこんな事をお前に告げる日が来るとは…残念だよ、すまないがここでお別れだ、きっともう会うこともない、どうか盤戸スパイダーズをよろしく頼む…お前ならば必ず勝ちあがっていける」

こんな不本意な台詞を吐かねばならない不測の事態に陥ったことを赤羽は深く悲しむ。そっと彼に近づいてその健康的な頬を右の掌で包みその温かさに心が癒されていくのが分かる。こうしてもっと触れていたい、しかし行かねばならない。

「本当はお前とずっと…アメフトを続けていきたかった、もし叶うならば今からでもフィールドに立ちお前のあの自信に満ちた声が聞きたいよ…、お前の音楽性はとても心地が良かった…どうかいつまでもそうであってくれ、そして………………出来るならば、帰りたいよ…コータロー」

そんな本音を最後に赤羽はまるで名残を惜しむように眠っているコータローの口元にキスを落として、そして次第に身体はこの部屋から消えていった。

コータローは何も気付かぬ様子で眠り続けている。





翌日。


「ねえ…まだ来ないんだけど…赤羽、やっぱり携帯にも連絡つかないし、どうしちゃったんだろ?」

朝の練習に顔を出さない赤羽に対してジュリが心配そうな声を上げている。目の前にいるコータローも気に入らなさそうな表情をしており、けれどまだ学校を休むと決まった訳じゃない。それよりもむしろコータローは昨夜から何だかもやもやして、そのもやもやの正体が朝から考えていても思いつかずちょっとすっきりしない思いをしていた。

―何か…引っ掛かるような…、ていうか変な夢を見たような?―

赤羽の微かな名残でも俊敏に感じ取っているのか、でも物事をはっきり思い出せる訳でもなく、このもやもやが赤羽のせいだとも分かっていない。

「ちょっと聞いてんのコータロー!?」

「へっ?ああ〜〜聞いてる聞いてる!赤羽のヤローがサボりまくってる話だろ〜?まあ今日来なかったら押しかけて行ってやろうぜ、こんな大事な時期によ全く!スマートじゃねぇ!」

「うん…やっぱり一度様子見に行った方がいいかもね…ひょっとしたら何かあったのかもしれないし」

「世話のかかるヤローだぜ!」

しかしやはりコータローはもやもやの原因が分からず、せめて少しでも夢の内容を思い出せたらと頭を捻るが忘れた夢を思い出すのは思ったより至難の業である。どれだけ考えても出てこないことが多い。けれども何故かコータローは思い出さなければいけないような気がしていた、赤羽の話題をすればするほどもやもや度が不思議なことに上がっていく。

「う〜〜ん……」

「何?急に真剣に考え込んで?赤羽の事心配してるの?」

「ンな訳ねーだろう!!!!今日見た夢が思い出せなくて気持ち悪いだけだよ!クソーッ」

「夢ね…そんなに差し迫って思い出さなきゃいけないこと?別に忘れたら忘れたでいいじゃない、夢なんだし、そりゃあ思い出せなくてすっきりしないのも分かるけどね」

確かにジュリの言っていることも一理あると思う、所詮は夢の内容、それが現実に起こった訳ではないのだから。だがコータローが夢だと勘違いしているのはきっと昨夜の出来事。熟睡していたはずが、やはりどこか意識が神秘的な力により覚醒していたのかもしれない。

「まっそうなんだけどよ…何か…分かんねぇんだけど気持ち悪ィんだよ…あ〜腹立つ!」

「もっと落ち着いたらいいのよ、ふとしたことで思い出すかもしれないよ?ていうか今は朝練!!真面目に練習してください」

ペチッと頭を小突かれて、疎かになっているキック練習をコータローは再開する。今は大会中、のんびりしている暇などないのだ。だけどそれなのに赤羽が顔を出さないとは確かに不可解でもあった。この秋に懸ける情熱はコータローに負けないほど燃やしていたのを知っていたから。それが例えどんな理由があるとはいえ練習に顔を出さないなんてちょっとおかしい。もし体調を崩していたとしても赤羽なら出てくると思う、とコータローはキックをしながら考えていた。
まあどっちみち今日も登校してこなかったらマンションに突撃するのは決まっていたし、とりあえずは深く考えないことにしてキックに集中する。

考え事なら授業中幾らでも出来るから。

そして全く勉強する気のないコータローは例の如く授業中に瞑想に入る。

だが一心不乱に思い出そうと頭の中をじたばたさせてみてもちっとも何も浮かんでこない。あまりにもいい加減な態度を取っていたら先生には注意されるし、隣の席からジュリは「ちゃんと授業聞きなさい」なんて母親みたいなことを言う。ある程度は放置してくれるけれども。

―けど気になってしょうがねぇじゃねぇかよーっ、何か胸騒ぎがする…何でだ?―

妙な不安が襲い掛かり、しかしこれもまるで自分のものでないような…誰かの不安が自分に乗り移っている様にも感じてしまうのだ。不思議なことに。でももちろん正体が掴めないことに関してコータローも不安には思うのだが、だけどやはり自分のものでないような気がするのだ。

―じゃあ誰のだって言うんだよ…あー訳分かんねぇ…―

早く何かに気付かなくては、この焦燥感は何だろう。誰が一体何を自分に訴えてるというのだ。分からないことだらけの上夢は思い出せない、思い出せなくてむしゃくしゃする…授業態度が悪くなって先生に怒られる、ついでにジュリにも怒られる。
無理に思い出す必要も確かにないのかもしれない、ジュリも言ったように所詮夢であって思い出せたとしてもそれは自己満足にしかならないのだから。夢の話を他人にしたところで特に場が盛り上がる訳でもない。

―そうだそうだ、もういい、思い出すのやーめた!―

悩み疲れたのかコータローはさっさと寝る体勢に入って、また隣からジュリの小言が聞こえてくるがそれは軽くかわしておき朝練の疲れでも取ろうと目を瞑る。あれだけたっぷり寝たはずなのに何だか無性に眠くてコータローはあっという間にクカーと授業中にもかかわらず寝入ってしまった。

けれどまた、コータローは不思議な夢を見る。

今度は夢の中でコータローの意識もあるのか、やけに真っ暗な空間に自分の身体が浮いている。すると突然眩しい光が現れて、その中に人影があった。姿を現したのは二日連続で学校に顔を出していないあの赤羽だった。当然コータローはすかさず夢の中でも文句を言う。

「テメーこんなとこに出てきやがって!人の安眠を妨げるな!ていうか何で学校来ねぇんだよ!!次の日曜にはまた試合が待ってるんだぞ!?練習だけでもいいから顔だしやがれっっ」

ゼーゼーと言いたいことだけを一気に告げてコータローは息を切らす。でも赤羽にそんな言葉は聞こえていないのかいるのか、何故か哀しい表情を見せている。そして口を開いて何かをこちらに伝えようと言葉を口にしているがコータローには何も聞こえなかった。

「何だよ?何言ってるんだ?」

けれど赤羽の表情は徐々に影を落としていって、哀しいなんて単純な言葉では言い表せないほどどちらかといえば追い詰められているような辛さの滲み出たものになっていた。それにはさすがのコータローも驚かされる。何をあの赤羽がそんなに必死になって自分に伝えようとしているのか、ジッと口の動きを見る。

『きっともう会うこともない』

『盤戸スパイダーズをよろしく』

『アメフトを、続けていきたかった』

『お前の音楽性は』

部分部分でしか読み取れなかったが、何だかまるで別れを告げられているような、気持ちのいい言葉ではなかった。だがまた最後に…

『帰りたいよ、コータロー』

自分の名を呼ばれ何だかその瞬間ドキッとした。印象としては未練たらたらのままここを去っていかなければならないような、そんな内容に思える。だがこれが何を意味するのか、まだコータローには分からなかった。夢である、と先入観も働いてしまってか。

―なんだ!?赤羽の奴、また転校でもする気なのか??つーか俺があの時のことを思い出してるだけなのか…よく分かんねぇ、なんでこんな胸糞悪い夢見なきゃなんねぇんだよ…―

コータローにとっても悪夢でしかない二年の春の出来事。何だかあの頃を思い出させるような、妙に意味深な夢の中の赤羽。言葉にも重みがあってまるで夢でないみたいだ。

―馬鹿馬鹿しい、こんなこと二度もあってたまるか!なんか腹立ったから今度顔見たらツバ吐きかけてやるっ―

相変わらず子供みたいなことを言っているコータローだが、さすが夢の中というべきか突然驚くことが起こった。さっきまで少し離れた位置にいた赤羽が気が付けば目の前…というより至近距離にいてコータローの片頬を掌で覆い、そして…


「ギャアアアアアアア!!!!!!!」


コータローは思わず声を大にして叫んだ。


「わっ!ちょっとなに急に大きな声出してっ!ビックリするじゃない、寝てるならもっと静かに寝てなさいよ!」

「へっ!?あれジュリっっ!?えっあれっ?」

「しかも寝惚けてる…呆れた、授業終わっても寝てるんだから」

そしてここでようやくコータローは我に返る。そうだ今までのは夢だったのだと。ついつい現実と行動させてしまい大きく取り乱してしまった。だが取り乱した理由も最もなものだったから仕方ないとさえ思う。でもいつの間に授業が終わったのか、全然気が付かなかった。しかも時計を見れば、もうすぐ2限も始まる。かなり寝入っていたらしい…とちょっと反省もした。

―やべーやべー寝すぎだ、でもあ〜〜もうっさっきの夢なんだったんだよー!しかも最後のあれ!!!何で自分の夢で赤羽と接吻する夢なんて見なきゃいけねぇんだよっ畜生ーー!!―

かなり夢見が悪かったせいかコータローは猛烈に不機嫌だった。一応次の授業の教科書だけは机に出しておいて、後はもう一人でイライラと鬱憤がたまっている様子だ。ジュリも「うわ〜」と関らないようにしているのが分かる。

当然授業が始まって不機嫌なものは不機嫌で、もう衝撃的過ぎるさっきの夢の内容を思い出せばコータローは額に血管が浮き出そうなほど怒りに満ちている。思わず口を塞いで、あの妙な感触にまた吐き気がしてくる。また随分とリアルだったから余計に。

―もう寝るのも禁止だ!あんな夢ばっか見てたら話にならねぇ!……て、ん?あんな夢ばっか?俺前にも見たのか…あんな夢―

ふと気になってコータローはぼんやりと嫌々ながらも思い返す。いやむしろキスシーン以外はちょっと赤羽の気になるような台詞が連発だったので、それもむしろ何かが引っ掛かった。

―なんだ…?なんか俺忘れてるような…、あの夢…なんでか記憶にあるような…―

そしてそれだけでない、あの生々しい唇と唇が触れ合った感触、確かにウエッとなるほど気持ち悪かったのだが思わず口を塞いでしまうほどリアルだったのが気になった。そっと今、自分の口元に掌を当ててみる。そして指で簡単に口先を触ってみると何だかまた不思議な気持ちになった。

―あれ…?やっぱなんか覚えがある…?でもそんな男同士でキスとかっっ…―

でも何となくあの赤羽なら万が一キスしてきてもおかしくないな…、と摩訶不思議な奴なのでそこに疑問が抱かなかった。むしろ問題はそれがいつなのか、そしてその前にあの哀しみの表情で赤羽が言った言葉こそが問題であった。
キスに覚えがあるということは、きっとあの言葉も自分は聞いているのだ、そんな風に思えた。

―いつって…そんなの………、ん?そういえば昨日の夢…………あっ!!―

すると何かを悟るように思い出した気がした、自分はあの時確かに眠っていた、眠っていたけれど鮮明にその時の場面が何故か脳裏によみがえる。確かにあの時赤羽は自分にキスをした。そしてその前に…自分に別れを…………


ガタンッッ!!


2へ続く。




2へ