*心優しき情熱を*


それは何の変哲もない平凡な日々に密かに起こった初夏の出来事。

盤戸アメフト部は秋の大会に向けて毎日遅くまで厳しい練習に明け暮れている。
この春に一気に主力を失い、弱小チームのレッテルを貼られて、まさに残されたものの意地とプライドにかけて死力を尽くす以外になかった。チームの柱となる人物は二人存在したが、その内のエースと呼ばれる一人は諸々の事情から秋大会の後半にならないと出場は出来ず、盤戸にとって非常に苦しい戦いを強いられることになる。
残る一人はキッカー専門でその明るいキャラクターからチームのムードメーカー的役割も担う男なのだが、まあトラブルもすぐ背負い込む男だ。しかもお互い協力し合ってやっていかなければならない時期だと言うのに2人はつまらない小競り合いばかりを繰り返す。原因は一方的に赤羽を敵視してるコータローのすぐ噛み付く癖のせいだった、盤戸の面々はほとほと困り果てている。どうにか2人にもう少しだけでも仲良くしてもらいたいのだが、言って聞くような相手でもない。

―どうやったらあの2人、上手くいくのかなー…―

練習中、マネージャーの沢井はしっかりと部員の面倒を見ながら、一方でチームの問題点を真剣に考え込む。ひたすらキックの練習に余念のないコータローの姿を見て溜め息、そして今グラウンドにはいないがきっと資料室で他チームの戦力研究を気が済むまで行っているであろう赤羽を想像して溜め息、赤羽の姿がないことからコータローもきっと落ち着いて練習に励んでいるのだろうと、それは一見良い風に映ってしまうが実際問題中心人物である2人の仲が良くない事については決して喜べるものではない。

―会話が足りないのかなあ…もっと相互理解を深めないと、こんなんじゃ秋大会…ただでさえ戦力が落ちてるっていうのに勝てる気がしてこないんだけど…はあ…―

「沢井さん……沢井さーん、聞こえてますか?」

ボーッと知らぬ間に思考の渦に飲まれていた沢井は1年部員の掛け声にすぐに気が付かず、慌てて返事をする。
「ああーっ、ゴメンナサイ!何々?」
「あのー赤羽さんにちょっと色々教わりたい事があるんですけど、今忙しそうなんですかね?」
「ん?赤羽?あー多分資料室に篭もってると思うけど別に忙しくはないんじゃない?呼んでこよっか、練習続けてていいよ」
「スミマセン、よろしくお願いします!」

沢井は元気のいい1年部員を気遣って練習に戻すと、さて一仕事と校舎に向かおうとするが、ふと視界にコータローの姿が映る。そして立ち止まりしばらく何かを思い浮かべるように考え込んで、いい事思いついた!と閃いた顔をした。

「ねえコータロー、ちょっとお願いあるんだけどー」

「ああ?何だよ、よしっ…これで100っと!!……スマートだぜ!!」

蹴り込み100本を終えて、ラスト100本目もキレイな弧を描いて見事にゴールポストに吸い込まれていく。コータローは機嫌が良さそうに頼まれてくれと話し掛けてきた沢井に顔を向けた。しかし思いも寄らぬ依頼を受けてしまう。

「悪いんだけど多分資料室にいる赤羽呼んできてくれない?ちょっと今手が離せなくてー」

はあっっ!?なんでわざわざ居なくてセーセーする奴を俺が呼んでこなきゃなんねーんだよ!バカ言え!!」

そして予想通りの返答がコータローから返ってきて沢井は今日三度目の溜め息をついた。まあ赤羽と仲の良くないコータローにそんな事を頼む方も決して間違ってないとは言えなくて嫌がる気持ちも重々分かるのだが、今日の目的は少しでも2人に会話はさせることにあった。だからコータローの我侭は到底聞けない。どんなに嫌がろうと沢井は無理にでも呼びに行かせる覚悟である。

「コータローが用はなくても他の人には用があんの、皆一生懸命練習やってるし丁度今100本終わったんでしょ?今日は防具つけてないあんたが一番身軽なんだから呼んでくるくらい呼んできてよ!じゃっ、任せたから〜」

「っておい待てよ!!勝手に決めんな!!……てっ、あーもう!!仕方ねーなっっ」

引き下がる気のない沢井の態度に気迫負けしたのか、コータローはブツブツと文句を零しながらやる気もなさそうだけど校舎に仕方なしに足を向ける。それをすかさず振り向いて確認した沢井は作戦成功!と笑顔を見せた。物も人も何でも使い様…少し荒療治かもしれないが無理に2人を接触させる。もしかしたら火に油を注ぐ結果になってしまうかもしれないが、まあ冷静な対応が取れる赤羽なら無駄に揉め事など起こさせやしないだろう。

「さてさて、私もお仕事お仕事」

けれど沢井は本心では必ずあの2人は分かり合う事ができると信じている。
あの雨の日の2人を見ていたら…
誘惑など目にもくれず、この盤戸と運命を共にすることを選んだたった2人だけの同士。
その双方の思いは少なくともどこかで交わるはずだと沢井は今でも信じているのだ。


そして場面が変わり渋々資料室へと向かうコータロー。
ズボンのポケットに手を突っ込みながら、しかめっ面でいかにも不本意そうにマネージャーの命令で奴を呼びにきた。資料室を目の前に不機嫌さMAXだったが、これも仕事の内だと割り切って威勢良くドアを蹴り上げるようにそれを豪快に開けてやった。

するとその瞬間何と突然コータローは雪崩に巻き込まれる!!

「うっうわ〜〜〜〜!!!!なんだこの資料の山は!!あっ赤羽…テメー!!」

ザアーーとドアから大量に流れ込んできたファイルやら本やら紙切れを必死で掻き分けて、コータローは叫びながら中へと進んでいく。

「散らかし過ぎだろうが!!ちっとは片付けろよ!!どこにいやがるー!!」

ひたすら埋もれていく身体を力技でなんとか前へと突き進み、ようやく奥まで辿り着く。しかしビデオは付けっぱなしにも関わらずいつもの席には愛用のギターは置いてあるものの当の本人の姿が見当たらない。どこに隠れやがった!と激怒しながらビデオを消して更に奥を覗き込むと、なんといつの間にか持ち込まれていたソファーの上に奴の姿はあった。

「あっいた!ってなんだこのソファー!!勝手に持ち込みやがったな……って、ん?」

しかしそこにはコータローが一度も見たことのない光景が広がっていた。

ソファーの上でうつ伏せに倒れ込んで片腕がだらしなく地に垂れ下がっており、サイド部分の手すりとされる場所に顔を埋めて何と赤羽は眠りについていた。しかもスヤスヤと気持ち良さそうに。だが普通なら、あー疲れてるんだ…と和むような場面であるが呼びにきた相手は運悪くコータローで、そんな赤羽の姿を見て更にムカッ腹を立て始める。

「んでこんな徹夜明けで曲作ってましたって感じの死に掛けミュージシャンみたいな寝方してやがるんだよ!!つーかサボりやがってええ〜〜!!」

そして垂れた腕の下に紙切れが一枚落ちているのを確認して、マジで楽譜じゃねーだろうなあ!と半キレながらそれを見る。するとそこには他校のアメフト部の情報がビッシリと書き込まれていた。
「………ちっ」
さすがのコータローも研究熱心な赤羽を認めざるを得ない状況に追い込まれてしまうが、それでも練習時間中に居眠りだけはどうしても許せなかった。もう当初の目的の事などすっかり忘れてしまったコータローはどうにか痛い目に合わす事ができないかくだらん知恵を絞り始める。
するとふと視界に油性のマジックペンが映った、これは使える!とグッと拳を握ってそれを手に取り、キュポンと蓋を開けて安らかに眠る赤羽の整った男前な顔に落書きしてやろうと小学生レベルの悪戯を決行する。

しかし瞼の上に目の落書きをしようとペンを伸ばした瞬間、パチッとあの赤羽の赤い瞳は開かれる。

「うおぉおっ!!急に目ー覚ますな〜!!つーか狸寝入りしてやがったのか!!」

そして心臓が跳ね上がるほど驚いたコータロー、落書きするために赤羽と近い距離にあった身体を少し後方へずり下げる。目を覚ました赤羽はまだ少しぼんやりするのか意識がはっきり覚醒していない様子だったが、先程までの…まるで警戒心のない年相応の子供のような柔らかい雰囲気の安らかな表情はもう見られなかった。寝ぼけているとは言え表情には鋭さが戻りつつあり、その赤い瞳がより一層赤羽をシビアな現実へと連れ戻すかのようだった。
自分以外の誰かがこの場所にいると悟った赤羽は自然と目を覚まして、そして目の前で妙な斜め体重で立ち尽くしている者の姿を見る。もう足元を見ただけで誰がそこにいるのかは瞬時に察知できたが一応身体を起こしてソファーに座りなおしその者の顔を見る。

「………コータロー…」

そして名前を呼び、赤羽はふと何を思ったのかテレビの方に視線を向ける。しかし流れっぱなしだったはずのビデオは消されていた。

「俺が消しといたぞ、つーかテレビつけっぱなしで寝てんじゃねぇ!つーか寝るなー!」

もう言いたい事が山ほどあるとコータローは猛スピードで髪を梳きながら自身の中のテンションを上げていく。もういつでも臨戦体制だ、ツバの準備も出来ている。
「俺らや先輩が一生懸命練習してる時にソファーで優雅に寝こけやがってお前はな!って…ん?」
だが少々赤羽の様子がいつもと違う事にコータローは言葉の途中で気付く。寝ぼけているのとはまた違う…額を、額よりもう少し下部…つまり両目の部分を軽く押さえて僅かに身体が震えている。

「……………い…、いてーのかよ…」

そして鈍いコータローでも今の赤羽に身体上のトラブルが起きていることはすぐに察知できた。しかし赤い瞳を持つ者の身体上の苦しみが痛みを伴うものかどうかは知らない、けれど普段からは想像も出来ない妙に痛ましい赤羽の姿を見てそう声を掛けずにはいられなかった。更に急に苦しみだした原因と、ここで横になっていた理由もコータローは今となって気付く。

「…大体、ビデオでも何でも見過ぎなんだよ…程々にしとけよな…研究熱心なのもいいけどよ」

自分の身体の限界を見極める事や管理の重要性は選手として最低限行わなければならないものだ、たがが部活だと人は罵るかもしれないが、秋に全てを賭けるつもりなら当然一番最初に守らなければいけないものがある。また人より弱い部分があると分かっていて、その部分を酷使する赤羽のやり方は何だかんだコータローには理解できない。アメフトは知性で戦うと言う赤羽の理論には賛成できない。

壊れてしまえば元も子もないのだ。

「……平気だ、少し休んだ…その内回復する」

「もう今日は見るの止めとけよ、どっちみっちその様子じゃ無理だろ、情けねぇ姿見せんな」

いつものように冷めたような目で完璧に振舞う姿を見せてくれないとコータローは調子が出ない、摩訶不思議な言動でムカッ腹を立たせてくれないといつもの自分が崩れる、いけ好かない相手に優しさを見せる事も気遣うなんて世話のかかる感情も必要なんてない…と常に思わせていてほしい。

弱い姿なんか……

「……だから、平気だ」

複雑な心中のコータローの思考を遮るかのように赤羽は同じ言葉を繰り返して、両目を押さえていた手を下げていく。しかしいつまで経っても開かれない目にコータローは逆にイライラ感を募らせる。

「開けてみろよ、目」

「………」

何を思ってそんな注文を赤羽にぶつけるのか、いつもの鋭い目付きで自分を睨み付けるようにその赤い瞳で自分の姿を映し出してもらいたいのか、もう平気だと言う赤羽の言葉が真実かどうか見極めたいだけか、この状況でどうすればいつもの自分に戻してもらえるのか相手に全ての責任を押し付ける気なのか…コータローは一度は後方に下げた身体を再び近い位置に据えて俯き加減の赤羽の顔を顎から指で持ち上げて、もう一度だけ告げる。

「開けろ」

半命令のような厳しさを含んだ声色だった。
だが赤羽は特に普段とは違うコータローの声色や態度に何の警戒心も示さず、むしろ平淡に相手以上に自分を見失ってはいなかった。目を開けろと言われれば彼は素直に言う通り、その赤い瞳を存分にコータローに向けてやる。
そこには確かにいつもの鮮明な赤と鋭い視線があった。

「………何だよ、ちゃんと元通りじゃねぇか…」

「だから平気だと言ったが…、早合点はあまり感心しないな」

「うるせぇな…」

コータローが乗りかからんばかりの不自然な体勢で至近距離で見つめ合ったまま二言三言会話は進む。しかし途中で何度か赤い瞳が痙攣するように揺れるのをコータローも見逃しはしない。だが大事にはいたらなさそうだ。
そしてコータローは少し考えて、やっとそうする事を決めた。

トサ…と赤羽の身体をソファーの上に倒して、その上に自分の身体を圧し上げる。
少し驚きで見開いた赤い瞳が不思議そうに真下から自分を見上げている。
けれど逃げる気は毛頭ないらしい。

「…どういうつもりだ?」

「別に?そういう気分になっただけだぜ」

抵抗する気もないらしいが一応の理由は問いただしてくる。
知性だけで理解できる世界ならば苦労はしない。
コータローが赤羽をこうして組み敷くことは実はこれが初めてではなかったが、そうなる度に2人は似たような質問を毎回繰り返すのだ。コータローも決して好きとは言えないこんな相手に向かって欲情する自分が意味不明だと感じることぐらい多々ある、けれど自分の意志とは関係ないところで求め欲してしまうのだ。

「……酷い男だな」

そんな赤羽の言葉は最もだ、しかし…


「お前だって人の事言えねぇだろ」


的確と言えるコータローのその言葉に、含まれているその意味に、赤羽は「フー…」と息を吐いた。 お前も誘ってただろ…と如何にも言いたげな声に反論などする必要はなく、ただ相手の頬に手を伸ばして一言だけ呟く。

「…そうだな」

そしてそれから2人は言葉という言葉は交わさずに、非現実的な世界へと迷い込んでしまうのだ。


2へ続く。




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