*第三の目*


季節は桜が咲き誇る4月となり、新たな始まりを予感させる。ここ盤戸高校でも新入生を迎える季節であり、あの校長からの寒い生徒手帳を強制的に受け取らされる。そんな学校のテンションに期待と不安の入り混じる新入生は一気に不安だけが突き抜けて顔を真っ青にさせる。これから三年間、否が応でもこの音楽性に従わなければいけないのだから。

そして各部にも新入部員が入り、各地で賑やかな雰囲気に包まれる。
勿論、アメフト部も例外ではない。

一昨年は東京大会準優勝、関東大会にも出場して、昨年は惜しくも東京4位で関東大会の出場権は逃したが実績は非常に立派なもので、特に文化系には強い盤戸高校で運動部のアメフト部は自慢のクラブ活動の一つだった。またその部に在籍している者たちも非常に個性が強いものが若干含まれており、それがまた校内以外でも有名な理由の一つだ。

一度は危機が訪れたアメフト部だったが無事に新入生も入って、その役割は取りあえず初心者が多い為基礎練習が主で、マネージャーの沢井がきっちり面倒を見ている。その中で一際一生懸命に練習をする者がいた。小柄でまだあどけなさが残る童顔で、いかにも純粋そうな丸い目で楽しそうに先輩の練習風景を見つめながら自身の練習に励んでいた。

そんな微笑ましい一年にマネージャーの沢井も口元を綻ばせながら、女性にしては強さや逞しさが目立つけれど時折見せる女性らしく優しい眼差しで初々しい一年生を見守っていた。するとふとした瞬間目が合って、途端一年生は恥ずかしそうに頬を赤く染めて俯いてしまう。

―か〜わいい〜〜っ―

何だか感動した沢井はゆっくりとその一年生に歩み寄って、優しい笑みを作りながら話しかける。

「一生懸命ね、アメフトは初めて?」

「えっ?あっっ…はい!!テレビで試合見てて…そのっ僕もやってみたいなって思って…その…っ、運動音痴なんですけど…」

「そっか、テレビ見て興味持ってくれたんだー、何だか嬉しいな、じゃあいっぱい練習してレギュラー勝ち取ってね」

「いっいえっ…そんなっ、でもそう言っていただけると僕も嬉しいですっっ、頑張ります!」

深々と沢井に対して礼をした一年を見てまた微笑ましくなった沢井は、これ以上練習の邪魔はしちゃダメだと手を振ってその場を去っていく。そしてその後ろ姿を熱に浮かされたようにぽーっと見惚れてる一年、心臓もバクバク鳴り響いて、その表情はどう見ても恋に落ちかけている顔をしているが、すぐに現実に引き戻される。

「おい、ジュリ。あれどこやったんだよ、見当たんねぇぞー?」

盤戸の中心人物の一人コータローだ。彼はマネージャーとは幼馴染で、登下校も共にしており、二人の仲の良さは折り紙付、まさに誰も入れる隙なんてない。

―やっぱり本当にキレイで可愛い人って誰も放っておかないんだなあ…コータロー先輩が羨ましい、二人ともスタイル良くて…お似合いだなあ―

でも勿論年上の魅力に現を抜かしている訳でもなく練習態度はきわめて良好、真面目な部員だ。叶わぬ恋なんてしている余裕もなく今は必死で先輩方に追いつこうと努力をしている。ただ新入部員だし初心者だし、今はマネージャーと接する機会が多いから余計にぽっぽぽっぽとしているだけだ。

そして盤戸にはもう一人憧れの存在がいる。

コータローと同じく盤戸の中心人物、いや大黒柱と言える存在。

赤羽のスーパースターぶりには初心者の新入生でも思わず見惚れてしまうほどだ。この絶対的な存在に、おかしな意味でなく心を奪われてしまう。
勿論コータローにも憧れてはいるが、コータローは後輩に対しても気さくで面白い人物でとってもフレンドリーだ。
だが赤羽には少し近寄りがたい雰囲気も手伝って雲の上の人のような印象を受ける。その何とも言えない魅力が備わっていた。

―赤羽先輩って不思議な人だなあ、それに本当に髪も瞳もあんなに赤いんだ…―

普通とは言えない外見も、やはり慣れない者としては特別な印象を受ける。普段はサングラスで隠されているが稀に外した姿を見ると、やはり近寄りがたい存在のように思えるのだ。また無表情で非常に謎に包まれている。けれど指導を受けていても特別高圧的な言い方もしなければ態度も柔軟で落ち着いたもので、きっと優しい先輩なんだろうと思う。

でも気軽には話しかけられなくて、もっとどんな人なんだろうと知りたい気持ちはあるのに新入生は遠くから眺めているだけだ。
基本ベンチに座ってギターを抱えている。他の先輩方も用事がある時にしか赤羽に話しかけはしない。でも勿論孤立しているわけではなくて、やっぱり誰でも近寄りがたい雰囲気を感じて安易に側には寄られないのだろう。ある人物を除いては。

「おい赤羽!テメーまた練習内容変えやがったな?人が折角部屋に引き篭もってるお前の代わりに考えてきたのにそれをコロコロとっ!」

「こちらの方が効率がいい、元々はこの練習方法を取っていた」

「うるせぇ!さては俺のメニューにケチつけようって言うのかよ!!」

「フー、何故そういうことになるんだ…」

こんな風に、ほぼ毎日と言ってよいほど赤羽とコータローは言い争いを続けている。新入生から見れば、二人は馬が合わなくて仲が良くないんだろうなあ、と思ってしまうだろう。だがこれでも昨年や一昨年前に比べては格段に二人の仲は良くなっているのだが。

―あー、また言い争ってる。これで大丈夫なのかなあ…でも昨年の試合はすごかったし…試合になると息がピッタリ合うのかなあ…もしかして―

何となく不安を覚えなくもない。盤戸の中心人物二人がずっとこの調子なのだから。

けれど更に二人のことがよく分からなくなる事態を、彼はその目に焼き付けてしまうのだ。




校舎の中を迷う一人の一年生。アメフト部の彼である。
どこをどう歩いたのか記憶がなくて、うろうろと校舎を彷徨っている。
まだ今は昼の休憩時間だから時間的に余裕はあったが、早速泣きそうであった。

「う〜、どこだよここー、完全に迷った……、ん?」

しかし彼はある一室を見つけ、その部屋の前に立ち止まる。

部屋の名前は『資料室』

だが聞いた話によると今はあの赤羽が主だとか何とか…、なので新入生は途端に興味が湧いて、どうせ迷ってるんだから中にもしも先輩がいても道を聞けばいいだろうと考え、そっと資料室のドアを開けてみる。ノックもせずに。

だが中はシーンとしていて、電気もついておらず残念ながら無人だった。
けれど物凄い散らかりように圧倒されて、またその資料の多さに呆気に取られた。
こんな場所で本当にあの赤羽先輩がまともに仕事をさせてもらえるのか…そんなことすら考えてしまう。
だが確実に散らかしているのは赤羽だ!散らかっている資料室を渋々使っているわけではない。

「うわ〜〜でもすごいなあ、こんなところで色々調べてるんだ…」

だが部屋の状態に負けず、逆に興味が湧いた彼は中に足を踏み入れ、なかなか広い資料室を見て回った。誰もいないし少しだけならいいだろうと。

だがそんな時に限って、廊下からはっきりと足音が聞こえてくる。この資料室の周りはかなり閑散としていて、迷ったものでもない限り通路として目の前の廊下を使うこともない。つまりこの足音はこの資料室に用がある可能性が非常に高いのだ。

―わ!どうしよう!!誰か来たっっ、でも今出たら…―

勝手に忍び込んだのがバレてしまう…そう恐怖した一年は部屋の片隅に一時避難することにした。ちょうど身体を隠す障害物がたくさんあって、きっとこれなら見つからない。けれど別に勝手に忍び込んだところで誰も怒らない、しかしそんな冷静な判断は新入生にはつかないのだ。

密かに身を潜めていると、慌ただしい足音が徐々に迫り、案の定資料室のドアは開かれる。その瞬間ドキッとしたが、どうやら見つからなかったらしい。しかしバタバタとした足音からして一人ではないなと思っていたら、同じ資料室からは二人の声が聞こえてくる。

「ったくよージュリのやつ、ノート見せろって言ったのに寝てた方が悪いとか言い出しやがって!ケチだケチ!!」

「それは正論でありお前の自業自得だな、授業中に眠っていたほうが悪い」

「ちょっとウトウトってしただけだろう〜?春はねみぃ〜…もうここで寝てたい気分だぜ…」

「午後の授業をボイコットする気か?またついていけなくなるぞ…、まあ引き摺ってでも教室まで送り届けるが」

この声は…考えるまでもなく部活の先輩二人だ。それもそのはずこの資料室は赤羽専用と噂されていて、基本的に用があるのは赤羽本人とその関係者のみ…、ますます一年は震え上がる。見つかったら大目玉を食らってしまうと。現実問題特にそんなことはないのだが。

しかし部活では分からない赤羽の日常的な姿や会話は、何だか随分貴重に感じて一年は興味津々に二人の会話に耳を傾ける。こんな盗み聞きはマナーは悪いんだろうけど、出るに出られない状況でもあるしどうせならと開き直ることにした。
このままジッとしていれば見つかることもないだろう。

「相変わらず気のきかねぇー奴だなテメーはよっ!」

「当然のことを言ったまででお前に責められる覚えもない」

「人が下出に出てりゃ〜〜!!いい気になりやがって〜!」

―コータロー先輩、全然下出に出ていない!!―

赤羽よりも早く、隠れてる一年が心の中でツッコミを入れる。声には出せないが。

「しかし何故ついてきた?食事はもう済ませたのか?」

「ああもう食ったぜ、さっきの授業で一足早くな!」

そうコータローが言うと赤羽は頭を抱えて溜め息をつきながら心底呆れ果てているようだ。そんな二人の様子が隙間から窺っている新入生には面白く映ってしょうがなかった。まるで漫才のようだ、普段はこんな風に息を合わせているのかと感心した。
上手くいってないようで二人の関係は意外と上手く成り立っているように一年の目から見ても思う。
ちょっとそんな関係が羨ましいとも思った。

「用がないなら戻るか大人しくしているかどちらかにしてくれ、少し調べ物がある」

そう言って赤羽は、ストレス発散をしようとするコータローを微妙に制しながら、自身の用を済まそうとする。何やら分厚い資料を持ち出して、サングラス外し真剣な目つきに変わる。

―へ〜、部活以外の時間もこうやって赤羽先輩は研究とかしてるんだ…すごい…―

けれど真面目に何かに没頭しようとする赤羽を見て、あのコータローが黙っていられるわけもなく、だからといって戻るわけでもなく、無視されるのが気に入らないとばかりにちょっかいをかけていく。一年も、やっぱり…と軽く想像がつきすぎる展開に笑みを零した。

「コータロー、退屈なら眠っていてくれ」

「ふざけんな!相手しろ相手!!」

面白すぎる展開に、これはクセになりそうだとすら思ってしまう。そんな尊敬する先輩方を見世物を見るような目で見るのは大変失礼だと自分でも分かっていながら。

―でも仲が悪いわけじゃなくて良かった…本当は仲がいいんだ…―

一年はホッとする。常に修羅場なチームではなくてと。

だが突然雲行きが怪しくなり…

突然会話が止まったかと思うとシーン…と何とも言えない空気が漂って、あれ?と一年が不思議がっていると何故か二人の距離が近い。コータローの様子もおかしく、先程までの駄々を捏ねた子供はもうどこにもいない。それよりも…

「おい、相手しろって…」

何だか意味深な台詞が吐かれて、ギクッと一年は背筋に何か電流のようなものを走らせた。何となく自分は今ここに存在してはいけないような気がして逃げ出したくなるが逆に身体は硬直して動かない。目も離せない。
妙な雰囲気が流れて、まさか…まさか…と冷や汗をかいていたら…


二人の顔は重なってしまった。


―え…え…え…、ええええ〜〜〜〜〜!!!!―

嫌な予感は見事的中。

自分の目の前であの先輩二人がとんでもないことになっている。

一部始終を目撃した限りコータローが仕掛けて、赤羽は困りつつも素直に受け入れたように見えた。まるで嫌がる素振りは見せていない。

―ちょっ、ちょっと…ちょっと待った!!!まさかっまさかっ先輩が!!えっなんで!?まさかっ…そういう関係!?―

けれどひょっとして遊びでしただけかもしれないし!と必死で頭を切り替えようとする。そんな一縷の望みにかけて。でも今すぐにでもこの場を去ってしまいたかった。身動きが取れない自分を呪う。

「……コータロー」

僅かに二人が離れた隙に呆れたような赤羽の声。
やっぱりコータロー流の嫌がらせだったのか?と思った瞬間…

「学校ではよせと何度言ったら分かるんだ…」

それはつまりトドメであり、学校以外ではこういったことをしているという決定的な情報を赤羽の口からしっかりとこの耳で聞いてしまった。その瞬間、疑惑が真実に変わって、一年はとんでもないことを知ってしまったと大いに焦る。そして驚く。

―ふっ二人、やっぱりデキてるんだ…!普段からああいうことしてるんだ…!―

デキている、といった表現が正しいかどうかはさて置き、秘密はバレてしまった。
けれど末恐ろしいのはまだ続きそうだということ。

「いいだろ別に…誰もいねぇんだからよ、ケチケチすんな!最近してねぇだろ」

―し、してないって何をっ!?―

まるで愚問だが、どんどんいけない方向へ走っていく二人を尻目に、隠れながら恐れおののいている新入生は今にも泣きそうだった。きっと自分などが知ってはいけない秘密だったのだ、今にもこの資料室は愛の巣に変わろうとしている。
けれど学校ではせめて慎んでほしいと願う。どうかコータローの要求を跳ね除けて健全な場所に戻してほしいと。

だが普段なら跳ね除けてしまう赤羽も今日は気を許していたのか、そんなコータローを受け入れ始めてしまい、このままでは本当に恐ろしいことがこの場で起こってしまいそうな勢いだった。けれど今更出るに出られない。

気がつけば、再び重なり合って今度は湿った吐息のようなものが聞こえてきて新入生は真っ青になる。もしかしてこのままどこまでも続いてしまえば、最後まで自分は息を潜めて同じ空間に留まらないといけないのかもしれない。

素直に信じられなかった。同じ部の先輩二人がひっそりとした資料室で口づけなど交わしていたことを。

―どうしよう…どうしよう!!あ〜何で入っちゃったんだろう!入らなきゃ良かった!―

そう思うも後の祭り。とんでもない秘密を自分は知ってしまったのだ。というかソファーがあること事態おかしいと思うべきだった!きっと色々使われてしまっているのだ。
コータローが赤羽に乗りかかるような態勢だ。赤羽はソファーに腰掛けながら、コータローの好きにさせているように見える。本当に身体を許しているのだ。

一年は出歯亀ってしまっている自分の存在が情けない。けど何となく見ちゃいけないんだけど目が離せなくて困ってもいる。何故こんなにも惹きつけられるのだろう。

―あんな顔するんだ…―

ひょっとするとただの好奇心かもしれない。
謎に包まれた先輩の隠された素顔を見てみたいという醜い欲望なのかも。
あの二人が濃厚にキスを交わしている姿を見ていると、何だかこっちも無駄に興奮してしまう。不思議と気持ち悪く見えないのもおかしかった。

きっと誰も知らないのだ、二人がこんな関係であることを。コータローの幼馴染でもあるマネージャーでさえも。一瞬で恋路を諦めさせられたほど、とても上手くいっているように見えたから本当に意外だ。少しだけ現実が分からなくなる。

妙に色気の含んだ吐息が耳から離れない、なんとも官能的だと思う。精神がおかしくなりそうだ。
あんな人を独占して自分の思うようにしているのかと思うと、きっとすごい優越感を得られるのだろう。やめられないのが分かってしまう。

「待て、ここまでだ…っ」

そんな聞いたことのない切羽詰ったような声が聞こえる。でもコータローは止められない、そんな予感がしてしまう。本当に触れてはいけない領域の狭間に自分がいることも。

「冗談言えっ」

そして案の定行為は先を進み、赤羽のネクタイを解くコータローは完全にその気になっている。随分と表情がいやらしい、まあ僅かに頬を染める赤羽も負けてはいないが。

首元を開かれてそこに顔を埋められる、肌を吸われて艶かしい表情を見せている。第三者がいるとも知らずに曝け出してしまっている。無表情でいつもは何を考えているか他人には悟らせない赤羽が。

どうしようどうしようと焦りながら魅入ってしまってる間にも時間は過ぎ、気がつけば赤羽の制服は開かれ上半身を露に細身でも鍛えられている白い肌に舌が滑らされて、時に嬌声に近い声を控えめに上げている。行為を拒否しつつも本気で抵抗などしていない。

やがてコータローの手は下半身にも伸び、手で服の上から触れられたのか赤羽の身体が一瞬跳ねて「よせ」と口にしながら制止を促しているように見える。けれど強引な手は止まらず、また制服は開かれて、きっと直で触れられている。
一年から見れば死角ではっきりとは見えないが、音とか赤羽の反応でそれが分かってしまうのだ。

もう目の前の出来事を呆然と眺めることしか出来なかった。同姓同士の交わりに拒否反応を示すだとか、嫌悪感があるだとか、そんな具体的な感情は何一つ出てこなかった。そういった負の感情は特に感じることはなかった。ただの好奇心…そんなものの方が勝ってしまった。
結局は恋愛なんて人の自由だから、自分の常識で当てはめてはいけないのだ。

それでも意外すぎて新入生は逆に目が離せないでいるのだ。

次々と行われていく愛撫と呼ばれるものに、こんなに見せ付けられて(勝手にいてしまったのだけど)身体が熱くならないわけがなかったし、若いのだから興味だって抱いてしまっている。この先どうなってしまうのか、見てはいけないものほど首を突っ込んで知りたいだなんて思ってしまうのだ。

本気で嫌がっていない赤羽ほど生々しいものはなく、やがて脚を左右に広げられて、表情は少し困惑で曇っていたけれど無理に引き剥がす気はないらしい。コータローの頭がゆっくり下がっていくのを確認すると新入生はクラクラときた。
正直、そういうアダルトものを見ている気分に陥ってしまう。けれどこれはそういった目的に作られた映像ではなく実際の映像というやつだ、しかもリアルタイムで。刺激が強すぎる。

赤羽は不安が入り混じった顔でコータローを見下ろしていたが、こうなってしまっては止められないと分かっているのか、顔を上げて声を抑えるために手で口を押さえている。ぼんやりと前方を虚ろに見つめて、少々熱に浮かされた表情をしていた。

そんな赤羽がまるで真正面から見えた。
新入生は息を呑んだ。
そして心臓が止まった。

何故なら一瞬赤羽と目が合ってしまったからだ。

思わず頭を引っ込めて完全に障害物に隠れるよう身を潜めた。
目の前は真っ白で、意識が飛びそうになる。
そして障害物の向こう側では、ゴツッと鈍くて激しい音が鳴り響いた。
きっと赤羽がコータローを殴った音だろうと思われる。
それから初めて聞く赤羽の「今すぐ離せ!」という荒げた声が部屋に響いて、コータローは意味も分からず呆然としている。

瞬速で制服を正した赤羽は、「何だよ急に!」と不満な様子のコータローをド迫力の表情で圧倒して、すぐに部屋を出ろと告げる。
けれど全く納得のいかないコータローはイラつきながら文句を垂れ始めるが聞く耳持たず、赤羽は半ば強引にコータローをこの資料室から追い出した。
ドアの向こうでバンバンと暴れているが、赤羽はドアを開けることなく、相手が諦めるのを待ってコータローが去っていくのが分かるとドアからようやく離れた。

だが実際大変なのはこれからで、敢えてコータローを避難させた赤羽には更なる修羅場を予感させる。

それは隠れている一年もよく分かっていた。
これはただでは済まない…

赤羽はソファーに腰を掛け直し、掌で額を抱えてずっしりと重いムードだ。
きっと今、激しく後悔しているに違いない。
決して見られてはいけないものを見られてしまったのだ。しかも自分の痴態付きで。
こんな失態は生まれて初めての出来事だった…

「………出てきてくれ」

まさに緊張の一瞬だった。

そう障害物の向こうに隠れている人物に声を掛け、この逃げ出したくても逃げられない状況に赤羽も一年も既に疲労困憊気味だ。
そっと、まるで罪人のように真っ青な顔で一年は赤羽の前に出る。そして早くも半ベソ気味だ。

「…!部の…一年か…」

「す……す……すみません!!!僕はっそのっえっと!そんなっ覗く気なんて全くなくてっ本当にっっ」

「何故ここに…」

「そのっ迷ってて!場所がどこか分からなくなって、そしたらここを見つけて興味半分に入ってしまってっ、そしたらお二人がっ!勝手に入ったら怒られるかと思って隠れてたらっそのっっ」

もう赤羽は頭が上げられなかった。完全に冷静さを失ってうろたえる自分の姿の情けなさといったらない。
いつもなら他人の気配には敏感なのだが今日はコータローに気を取られすぎて完全に気が緩んでしまっていた。あれほど側に存在感のある人物が居ると陰に潜む他人の気配は察知できない、そしてあれほど危険だと思っていた校内での触れ合いに応じてしまった自分も情けない。そして最悪の事態…他人に見られてしまっていたのだ。

「………別にここに誰がいても…怒りはしない…」

「本当にスミマセン〜!!僕が僕がっっ、うわ〜〜〜〜っっ!!お二人の邪魔をっっ!!」

そしてとうとう一年は泣き出してしまい、赤羽も「お二人の邪魔」などと言われて心底泣きたい気持ちでいっぱいだった。けれど当然この後輩を責めるわけにもいかず、自分へのやり切れない思いで張り裂けそうだった。とにかく相手が泣き出してしまったこともあり、先輩である自分が何とか場を収めなくては話が進まないと赤羽は必死で表情を取り繕って立ち直ろうとする。

「そ…そんな言い方はよしてくれ…っ、とにかく、君のせいではない……なるべくなら今日の事は忘れてほしい…」

「スミマセンッ、スミマセンッッ!本当にスミマセン!!言い出せなくて!!絶対に口外はしません誓います!!」

「…君を信用していないわけではない、ともかくこちらとしては君を信じる以外道はない、見苦しいところを見せてしまって…すまない…」

ひたすら大人の対応を心掛けて赤羽は取り乱してしまいそうな自分を必死に抑えた。ともかく今自分で言ったように相手を信じる以外道はないし同じチームメイトとして信頼もしている。けれど、大事にはならないと自分に言い聞かせているが、正直この先どうなってしまうのか赤羽も不安でいっぱいだった。
本当に色んな意味で本気で誰にも知られてはいけないことだから。

「あのっそのっ…でも…、いややっぱりっ」

「…?、何だ?」

何かを言いかけて止めた後輩の言葉が無性に気になり、赤羽は先を続けるように促す。

「…えっと…その、い…意外だったって言いますか…その…僕はてっきりコータロー先輩は沢井先輩と付き合ってるものだとっ」

「………っ」

また核心に迫るようなことを口に出されて赤羽は正直返答に困る。相手が色々誤解しているのは分かるが、どこをどう説明すればいいのか心底困ってしまう。自分でも安易に触れられない箇所をこの一年は堂々と言ってしまえるのか。

「………まず訂正しておくが、コータローと俺はそんな関係でもない、後は好きなように想像すればいい」

「え…?だってさっき……」

そこまで言いかけて後輩はカーッと顔を真っ赤にして掌で顔を覆っている、赤羽はそのリアクションにドキリと心臓が跳ね上がる。

「お、思い出さなくていい!とにかく今日の事は忘れてくれ…、あとアイツにも知られないようにしてくれ、話が大きくなる」

「あっはい!スミマセン!!でも…コータロー先輩もしかして…二股…、あっいえっ何でもないです!」

どうやらついつい思ったことを口にしてしまうタイプらしい。赤羽は少し話してそんな印象を受けた。どうにも危険だ。

「……言っておくが、関わらない方がいい、いや…関わらないでくれ、余計な詮索も好きにすればいいがそれを言葉にしたとして、俺が答える義務はない、この件について何も話すつもりはない」

少々強めの言い方だが、このくらい話しておかないとパニックを起こした後輩が何を誰に対して零してしまうか分からない。また込み入った質問や疑問をぶつけられても、何も答えられないのが現状だ。自分の口から断定的な何かを発してしまうわけにはいかない。

「はい!肝に銘じます!!」

どうも返事だけは立派だ。この時後輩はテンパリすぎていて、色んなことが頭の中をグルグル回っていてまともな精神状態ではなかったのかもしれない。絶対に見つかってはいけなかったのは後輩も同じで、こうやって赤羽と一対一で話をしていること自体恐怖と言うか奇跡にも近い感覚で、こんな形で憧れの先輩の素の姿を目撃してしまうとは予想外にも程があった。
けれどコータローとの関係だけは疑問がいつまでも残る、とても赤羽自体気を使っているのは分かった。

「…コータロー先輩に、このこと…あっ勿論僕は誰にも話しません!!でも黙ってるのって…大丈夫なんでしょうか…」

「………知られたら、きっと君も大変な目に遭うぞ?」

「つまり嫉妬深いってことですね!分かりましたっっ」

嫉妬深いという言葉に赤羽はまた頭を抱えたくなった。そういうことじゃないと言い訳の一つもしたくなるが、ここは何も話さないのが賢明だ。やはり相手にとっては自分たちの関係は物珍しく感じるらしい。確かにあんな姿を見せてしまった後では当然かもしれないが。

「フー……」

「しっ心配しないでください!!本当に誰にも何も言いませんので!」

赤羽の吐いた重い溜め息に後輩も慌てて懸命に訴えてくる。だが赤羽にはどうすることも出来なくて、こうして相手を信じるしかない。

「…ああ」

また見られてしまった恥ずかしさも拭えなくて、相手の顔がまともに見られない。後輩は真っ赤な顔で真っ直ぐ自分を見つめてくるが正直視線が痛い。
もし自分に相手の記憶を消す能力があれば迷うことなくそれを実行しているだろう、残念なことに赤羽は極普通の人間で特殊能力など持ち合わせていないが。
だが見られてしまったのはもう仕方がないことで、問題はこの事態をどう静かに収束させるか、どう見られた羞恥に耐えるか、赤羽の課題は山積だった。
ともかく様子を見る以外にはない。

「…もうすぐ予鈴もなる、もう教室に戻った方がいい…」

「えっあ……その、道が…その…」

「分かった、案内しよう…」

守りに守りきっていた牙城が見事に崩された瞬間で、赤羽は建て直しに必死になるのであった。後からついてくる後輩の視線を痛いほど感じながら。

そしてこの日から大きな秘密をもう一つ抱えて赤羽は生活することになるのだが…

数日経って、特に周囲に対し異常は感じずにいた。
コータローはこの前の一件でしばらくは拗ねていたがそれだけで、周りから好奇の目に晒されることもなかった。

秘密は後輩によって辛うじて守られているらしくホッとした。このままいつものペースに戻して、普段の生活を取り戻したいと願う。

けれどそんな時に限って赤羽に平穏は訪れない。

「あの〜〜…」

部活中、ベンチに座っているとふとあの声が話しかけてくる。当然ギターを止め顔を上げるとそこには例の後輩が控えめに立っていた。用件を聞くと、純粋な部に関する質問で、赤羽は至極丁寧にそれについて説明する。
どこから見ても極々普通の部活風景だった。
ただ少し、互いにどこか心に引っ掛かりを覚えている程度で。

赤羽自身極力あの事を忘れようとしても、同じ部に彼がいる限り頭から例の一件は離れない。どうもコータローと一緒にいている姿を見られていると思うと居た堪れなく思うし、あの目が合った瞬間を彷彿させてしまう。
あれほどの衝撃と恐怖はなかなか体験できるものじゃない。

―相手も俺も普通には装えているが……―

ギターの音が知らず乱れ出す。
けれど同じ部員に目撃されたのは不幸中の幸いとも取れる。全く関係のない生徒であれば、どこで何をしているか、何を話しているか、全く情報が伝わらないから。こうして毎日顔を合わせるのは赤羽としては辛いけれども、牽制の意味で効果的かもしれない。

―とにかくもう二度とこんな事態を引き起こさないようにしなければ…―

元々赤羽は校内では拒否の姿勢だが、相手があの身勝手なコータローだ。まず自分の思い通りに行動に移すので、流されてしまうことだけは危険なのだ。それが分かっていて、この前の一件は起きてしまったのだが…

今少し離れた場所でコータローはマネージャーと何か話をしている。赤羽は特に気にすることもないが、あの後輩がやはり不思議そうに二人を見つめていた。
正直言ってここはかなり微妙な均衡が保たれている、それが崩れてしまう事態だけは何としても赤羽は避けたいのだ。被害を被るのは自分だけでいい。

「あの〜やっぱり先程のよく分からなくて…」

そんな心細そうな声が聞こえてきて、赤羽はまた覚悟を決めて心を鬼にしながら終始冷静に努めるのだ。

徹底的に信頼関係を損なわないよう最大限の配慮をしながら。

けれどあの一年生も意外と自分を避けてくるわけでもなく、どちらかというとあの一件以来会話の回数は増えているようにも思える。
普通目の前であんなものを目撃してしまったら、少なからずとも軽蔑の目で相手を見てしまうものかと思っていたが。
気がつけば部に関係のないことまで相談を持ち掛けられたりもする。

「すみません赤羽先輩、折り入ってご相談が……」

「……何だ?」

校舎内で話し掛けられた時も、正直赤羽は毎度緊張している。それは相手も同じことのようだが。

「実はその…赤羽先輩はとても頭がいいと聞きまして…、それで少し教えていただきたいことが…」

「…どうかな、期待に添えられるかどうかは分からない」

「いえっ、色んな先輩方にも相談したんですが、赤羽先輩に聞くのが一番いいと…言われまして…その」

「どういったことだ?」

「えーと…そのー、これなんですけど…」

そして後輩はおもむろに教科書を取り出し、こことここがどうしても分からないと訴え出る。つまり授業に少々ついていけていない、ということらしい。確かにその部分は多少難解でもあり、まず素直に理解できるものは少数だろうと予測する。
きっとそんな勉強の話で他の同級生であるメンバーや二年はさじを投げたのか、自分に振るのが一番早いと判断したのか、とにかくこの後輩とは妙な縁である。

しかし尋ねられたからには無視は当然出来ない赤羽で、素直に後輩が先輩を頼ってきているのだからここは勿論教えるべきだと判断する。

「分かった、こんな立ち話ではまともに身も入らないだろう、こちらに来てくれ」

そして資料室目指して歩き出す赤羽。
後輩は驚き顔だ。

「えっ!僕がっその、い、いいんですが!?」

「教えてほしいんだろう?」

「あっはい!!」

こうして、しばしの間この先輩と後輩は資料室で過ごすこととなる。
あのいわく付きの資料室で。

毎日補習…というわけではないが、空いた時間に赤羽は後輩の面倒を見ている。一つクリアしたところで、他に分からないことはあるか?と尋ねれば次から次へと出てくる。こうなれば最後まで徹底的に付き合うのみだ。一度引き受けた身だ、途中で投げ出したりはしない。
後輩も申し訳なさそうに、例の資料室で一生懸命勉学に励んでいる。

「すみません…こんなワガママ聞いてもらって…」

「気にすることはない、分からないことがあれば聞けばいい」

「はい…頑張ります、部も勉強も」

部が早めに終わればその後もしばし二人は資料室に篭る。
帰りは遅くならないように赤羽が頃合を見て後輩を帰宅させている。
そして赤羽は自分の仕事を済ませるのだ。
けれどそこまで苦ではない、頼られるのは喜ばしいことであり、やはり人として嬉しくもある。

だが今日は少々勝手が違っていた。

静かな資料室に突然湧いた大きな声。

「おい、赤羽いんのかー?」

ノックもせずにコータローがいつもの調子でドアを開ける。

「…っ!」

「…ノックくらいしたらどうだ」

「おっ何だよ、一年虐めてんのかよ!」

「そんな風に見えるのか?」

「何だ勉強見てんのかよー、それなら先に俺に言ってくれりゃー良かったのにな!」

「……本末転倒だ」

「あぁっ!?何だとーー!!一年の授業くらいついていけるぜ!多分!」

「気にせず続けよう…」

「あからさまに無視すんな!!!」

コータローと赤羽の言葉の応酬に、また漫才のようで一年は笑いがこみ上げてくる。本当にこの二人のやり取りは面白い。見ていて全く飽きないが、自分はこの二人の真の関係を知ってしまっているのだ。本当は身体を重ね合うような間柄なのだ…

「おい、こいつにヒデーこと言われたらすぐ俺に言えよ!?ガツンと言ってやるからな!ってまだやる気かよー、そろそろ解放してやれよな!」

「えっあっいやっそんなことは!」

「フー、一気に騒がしくなってしまったな、今日はここまでにしよう」

「あっはい!ありがとうございました!」

そして一年は大急ぎで荷物をまとめて、この資料室から去ろうとする。きっと自分が勉強を見てもらっているという名目で独占してしまっているから先輩はわざわざここまでやってきたのだ、と考えて。

「じゃあ、失礼します!さよならー!」

「おー、気をつけて帰れよー」

こうして逃げるように一年は帰っていった。残されたのは当然二人で、赤羽は嫌な空気を感じる。

「お前も、帰れ」

「はぁっ!?帰らねぇよ!わざわざ居残ってやったのに!」

「頼んだ覚えはない、まだ俺はここに用がある」

「うるせーっ、なんか最近冷てぇぞテメー!!」

このままずるずるここに留まるようなことがあれば、またいつ間違いが起こるかもしれない。それだけは避けたいのだが、コータローのこの様子では聞き分けよく帰ってくれるのはまず有り得ないだろう。
だったら赤羽も取る方法は一つで…

「分かった、俺も帰ろう」

もう早々に切り上げてしまい、自分も資料室から出て行く選択をする。するとコータローも文句なく大人しく自分を待っていた。そして一定の距離を置いて後をついてくるということは、このまま赤羽のマンションまで行くということだ。これは暗黙の了解である。

しかし校舎を出てこのまま二人で帰ろうとすると、先程別れたばかりの一年もまだ校内を出ていなかったのか、偶然鉢合わせてしまう。

「あれ?、二人で帰るんですか?」

そう声を掛けられる。赤羽は頭を抱えたくなったが必死の思いで我慢をして、ここはコータローに任せる。

「んなわけねーだろ〜、たまたま一緒の方向に帰るだけだぜ」

「そっそうですか…でもコータロー先輩は確か、あっ…ち…、いえ何でもないです!」

「なんだよ、先輩って堅苦しいから、『さん』でいいって『さん』で、じゃあな!」

そしてバレバレの嘘で別れなければならなくなった。もう赤羽は後輩の顔を見れない。けど向こうは違って真っ直ぐ見つめてくる。まるでこの先の二人がその目に映し出されているかのように。
知られているというのは本当に不便だと思った。妙に見透かされているようで身動きが取り辛い。向けられる視線に様々な感情が含まれているような気がして赤羽は珍しく逃げ出したい気分だ。

「赤羽先輩も、さようなら」

「…ああ、さようなら」

サングラスで表情を隠していても、この後輩には動揺を悟られているかもしれない。
先に歩き出した赤羽の後をコータローも進んでいく、どう見ても一緒に帰って同じ場所に向かうのだ。そして……

「しっかし元気のいい一年だな」

「ああ…」

そんな会話も虚しい。


2へ続く。




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