*ナイトメア*


『お前とは根本的に合わねえよ』


突然声が聞こえた。

しかし今は真夜中の上、コータローは睡眠中である。規則正しい寝息を立てて、端から見れば気持ちよく寝付いていると見間違えるほど寝顔は安らかだった。

だが彼の見た夢は…今彼が見ている夢は、とても気持ちの良いものとは言えなかった。

俗に言う悪夢。

それが正しい解釈だろう。

『キックチームなんか所詮世間から言わせてみれば格下だろ?』

立て続けに浴びせられるかつての仲間からの声。
非難を一斉に浴びて、今現在のコータローを悪夢は否定してかかる。

『もっと自分の力が試せる強いチームに行きたかったんだよ』

決して悪気は無かった、力ある選手なら誰でもそう思える理由を挙げる者もいる。
裏切った訳じゃない、ただ示された道に惹かれて進んだだけなのだと。

『やっぱりそんな弱いチームのままじゃ勝てなかったんだな』

そして秋季大会が終わった今、彼らからまるで見下されるような冷たい視線を浴びせられる。たった一人反旗を翻したくらいでは現状は何も解決しないし運命は揺るがない、昨季は関東大会にも出場した、しかし今期は4位止まり。例えどれだけ試合内容が濃く、接戦だったとしても勝負は結果が全て。その瞬間は褒め称えられても、後で言い訳はできないのだ。

―違う、俺らは決してお前らに劣っちゃいねぇ!!俺は何も間違ったことは言ってないっ、現状でも十分戦っていける、クリスマスボウルにも手が届くと信じてる!―

余りにも一方的に責められて、コータローは耐えられず反論する。夢の中だというのに彼の形相は険しいものだった。

『ははは、所詮キッカーが優れていても勝つことなんか不可能だぜ、赤羽だってそう思ってるだろうよ、あの時盤戸に残らず俺たちと一緒に帝黒へ来ていたら…限りなく上を目指せたと後悔しているに決まってる』

『コータロー、お前の持ってるそのくだらない信念とやらが盤戸も赤羽もダメにしたんだ、お前のやったことは全て無駄に終わった、お前だって素直にこっちへ来ていればあんな惨めな思いをしなくてすんだものをよ』

―やめろっっ、いい加減にしろ!!赤羽は後悔なんかしてねぇ!俺も間違ったとも思っていねぇ!!変な言い掛かりはやめろ!!―

胸が痛くなるような暴言が幾度もコータローの心臓を貫き、悪夢は全てを非難し否定した。
次第に浮かび上がってくるビジョンは、かつての仲間たちだけでなく、今コータローと共にアメフトを続けている仲間たちまでも溜め息を吐かせ、お前は間違ってたんだよ、と悲しい目つきで今を否定する。

そして最後に映った者の姿は、正面からコータローを見つめるもののどこか冷たくも哀れな表情を晒して、一度だけ首を振り、あの時の選択を後悔した。コータローに対し背を向けて、どこか遠くへ去っていく。

皆が自分を見捨てて裏切って、またコータローは独りとなった。

そんな絶望感を味わいながら、コータローは思わず面を上げる。全てを振り払うように首を左右に振ってしっかりと目を開ける。
すると視界には自分の部屋が映り、もう悪夢は去っていったようだ。だが当然、目覚めも悪く、色々思うことがあるのかコータローはしばらくその場から動けない。

「……なんだよ……畜生…っ」

嫌な汗を全身にびっしょりとかいて、とりあえずシャワーが浴びたいとベッドから飛び起きる。ジッとして物思いなんかに耽っていると先程の悪夢を思い出してしまいそうでたまらなかった。


ザー、と軽く頭から汗を洗い落とし、けれど奇妙な夢は頭から離れない。妙にこびりついて脳を支配している。
もう秋季大会が終わってどれだけ経つと思うのだ、もうそろそろ春の大会に向けて本格的な始動もしなければいけないという大切な時期に、もう済んだとばかり思っていたあの悪夢を思い起こされて、突如コータローの思考は乱される。あの時の、悪夢に振り回されていた時は終焉を迎えたんだとてっきり思い込んでいたのだが…これはまだ自分の中で忘れられていない証拠なのだろうか。

「…冗談じゃねぇよ全く…」

今更何の不安があるというのだ、もう盤戸の進む道は決まっている、それに誰も異議を唱えるものはいない、些細な衝突や食い違いはあっても根本的に相違のあるものはいない、少なくともコータローはそう考えている。でないと今まで頑張ってきた日々は何だったのだと今度は自分が信じられなくなる。全て偽りだったというのか、あいつらの言うとおり全てが無駄だったというのか、そんなバカな話があるか!とコータローは力強く頭を振ってそれを否定する。

否定され否定して、また否定され否定をし、永遠と否定を繰り返して…

一体どこまで否定し続ければよいのだろうか。

もういい加減、バカな夢の話なんて忘れようと、同時に自分に起きた過去の出来事も忘れにかかる。あの時の事は思い出して気持ちの良いことは何一つないのだ、もうあれすらも「そんなことがあったな」とそろそろ笑い飛ばしたい気持ちでもあるのだ。


コータローは朝練に出るため、いつもと同じ時刻に家を出る。そして幼馴染であるジュリと共に学校へ向かう。

「…ねえ?どうかしたの?何か朝から様子変だけど?」

そして二人で歩いていると早速これだ、妙な女の勘を働かせてくる。

「へ?いや別に、ちょっと寝起きで身体がまだ起きてないだけだぜ」

「ふーん、そう?もし具合悪いんだったら言いなさいよ」

「なんともねえって、心配すんな」

けれど明らかに不機嫌とは又違うコータローの怪しげな暗さにジュリは言いくるめられることはなく、でも口で言ったところで認めるような素直なタイプじゃないから敢えて追求はしない。
普段とは明らかに違う点はコータローのその無口さにあった、多少表情では誤魔化そうとしているのかもしれないが、その口数の少なさはさすがに違和感を覚える。静かすぎて妙に気持ち悪い、どちらかというと深刻な悩み事を抱えて黙り込んでいるようにジュリには見えるのだ。伊達に付き合いは長くない、大体のことなら見て取れる。

―でも練習始めれば少しは気が晴れるかもね、まっ大丈夫でしょ―

そんな風に現時点ではジュリも楽観視していたのだが…

いざ学校に着いて練習を始めてみるとコータローのおかしいことおかしいこと。

―あ、あれ?本当に調子悪そうねー、キック練習でも晴れないなんて…―

不思議な眼差しを向けるのだがコータローはそんなジュリにも気付いてはいない。
まだ部員には悟られていないようだが、この成功率の悪さはいずれチーム内にあっという間に広がるだろう。けれどベンチでギターを抱えたまま座っているある男だけはコータローの不調を感じ取っているようだった。ジュリと同じように彼に視線を向けて、その滲み出ている困惑の色が確かに感じられる。
ここは少し相談…とばかりにジュリはそうっと赤羽に近寄る。あまりコータローのことで相談はしたくないのだが(本人が「余計なこと言うな!」と怒るから)今日みたいな事態は仕方がないと相談を持ちかけてみる。

「ね、ねえ赤羽…気付いてるよね?」

「……ああ」

「やっぱりどう見ても変だよね?」

「……ああ」

もうちょっと違う言葉を発してくれ、とジュリは心では思いつつ、もうこうなったらと単刀直入に聞いてみる。

「コータローどうしちゃったんだろ?」

「…朝からあの調子なのか?」

「えっあっ、うん…朝会った時からもうおかしかった、でも本人にそれとなく聞いても何ともないって言うんだけど、絶対何か隠してるよね…」

「…………不協和音」

「…は?」

「アイツの音が…タイミングが…全て乱れてしまい、まともな音が奏でられていない…」

「………もっと分かりやすく言って」

「つまりいつものアイツじゃないって事だが、何かを内に秘めている可能性はあるが、君に何も話さないのなら俺にも何も話さないだろう」

「いやっそれは分からないわよ?ひょっとすると女の私には言えない悩み…かも」

「…思春期の悩み…とでも?可能性は低いな…」

「もうそろそろいい年だしね…って、なんで低いって言い切れるのよ、でもとにかく私に話せなくても赤羽になら話せるようなこともあると思うのよ…、コータローそこまであんたのこと嫌ってないの分かるから」

つまりジュリは赤羽にコータローの様子を探って、出来たらそれを解決の方向へ導いてやって欲しいと依頼しているのだ。どうも今回の件は朝のことを振り返っても自分に話しそうもないのは分かっていたから。でも何となく、赤羽になら打ち解けるんじゃないかってここでも女の勘を働かせる。

「ねえ…どうにか…助けてあげてくれないかな?勿論私も出来る限りのことはするけど…多分私だと無理だと思うのよね今回は」

そしてようやく本題まで辿り着いて、少々危険ではあるが赤羽に託したいとジュリは願い出る。普段心が開けない人に対して切羽詰った状態でなら逆に心が開けるかと考えてみると可能性はゼロではない気がするのだ。もしかして心の奥底の本音は、普段心を許している人には話せないかもしれない。

「………了解した、だが上手くいくとも限らない…」

「大丈夫よ赤羽なら、もしダメだったらその時は時間に解決してもらうから」

そんなこんなで交渉は無事に上手くいったのだが、珍しくも赤羽は自信無さ気だった。相対するのがコータローということで、音楽性が正反対の男とどこまで深く話し合えるのか不安に思っているのかもしれない。


そしてその頃コータローは、本人自身もキック練習で憂いを吹き飛ばす予定だったはずなのだが、そのあまりにも低い成功率に逆に苛立ちを感じ、これ以上続けてボールをキックし続けることにさえ苦痛を感じてしまって、早々と練習を切り上げていた。春とは言え大会前だというのに調子の上がらない姿を皆に見せるわけにもいかず、一人部室へ向かう。そこで少し気分でも落ち着かせようと部室のドアを開くが、そのドアを開いた瞬間コータローは目の前に幻を見る。

『よー、いつまでキック練習なんかやってんだよ、さっさと場所空けろよ』

『そういや次の秋季大会は本当に面白くなりそうだなー、ははは』

自分の目の前に昨年の風景が甦る。慌ててコータローは、ハッと顔を上げるがその瞬間には誰もいない部室へと戻っている。そう誰もいない部室へと…

「…畜生…もうどうでもいい、あんなこと」

もう過去の話だ、と疲れた表情で中央にあるベンチに腰掛ける。メットを隣に置いて知らず知らず頭を抱えるコータロー。何だか嫌なものが…嫌なものが這い上がってきて精神が蝕まれていく。どうしようもできなかったあの時の自分が今ものその形状を辿っていると錯覚してしまう。

「間違ってねえ…絶対に間違ってねえ…」

うわ言のように呟きコータローは目を伏せた。
すると突然ガラッと部室のドアが開き、思わず条件反射で最悪な顔をしたままそちらを振り向く。そして視界に映ったのは赤羽の姿。盤戸のユニフォームでない制服を纏って、これから去っていく身の赤羽。だが実際は先程まで練習に参加していたユニフォーム姿の赤羽であった。またコータローは幻を見る。

「……随分な顔をしているな、それは君の音楽性じゃないよ」

「…っ!!…あ、なな何だよテメーかよっ、誰かと思ったぜ、別にちょっと疲れただけだ、どこもおかしくもねーよ」

明らかに動揺しているが、隠し通そうと無駄な足掻きをするコータロー。この状況に何ともないと答えること自体が既に何かあるということなのだ。

「…気付いていないとでも思っているのか?」

だから何ともない風を装うのはよせ、と赤羽は間接的に告げたつもりだった。けれど予想外にもコータローの反応は大きすぎるもので、目に確かな焦りの色が生じている。まるでもっと奥深くを見据えられてしまったかのような慌てふためきよう。けれど残念ながらそこまで赤羽は深いコータローの事情までは知らない。

「…コータロー?………お前の様子がおかしい事は俺もマネージャーも気付いている」

「あっ……、なっ何だよっ、別に何でもねーって言ってるのにしつこいぞ二人してよっ!」

意味を履き違えていたことにどこかホッとしたようなコータローの表情、どうやらあまり悟られたくないことらしい、と赤羽は分析する。そうすると自分にも何か原因はあるのか?と少し考えてみるが最近は目立った衝突もなくてすぐには何も浮かばない。

「…調子も随分悪いようだな」

「っ!……ちゃんと大会までには何とかする、心配すんな」

「そんなことまで聞いた覚えはないが…調子が悪い自覚はあるようだな」

「っっ!!ひっ人をはめようとすんな!!!もういいからお前はさっさと練習に戻れよ!俺の問題だっ自分で何とかするっっ」

そう言ってさっさと着替え始めてしまったコータローはもう朝練には顔を出さないらしい。やはり予想通り何も話そうとはしない、赤羽はどうしたものかと変わらない表情の下で模索し始めるが無理に他人が深入りすると余計に拗れてしまう危険性もある。何か相手側からアクションを起こさない限りそっとしておく方がいいかもしれないと赤羽はとりあえず結論づく。

しばらく時間がかかるかもしれないな、と赤羽は思っていた。

が、意外と早くコータローはアクションを起こす。


朝練が終わり、生活の場を校舎内へと移して、コータローの様子のおかしさは相変わらずMAXだったが、授業中にぼんやりと再び夢のことを彼は思い返す。身体を動かしても過去を思い、身体が動かなければ切り詰めて今日の夢を振り返る。まさに二進も三進もいかない状況だ。
けれど今コータローが考えているのは意外にも赤羽の事だった。もちろん悪夢にも登場していた訳だが、夢の中で非常に気になる台詞を聞いてしまっている。赤羽自身は何も語らなかったが態度でコータローの過ちを責めるように去っていった。関西へ流れた部員からは赤羽がここに残ったことを後悔しているなんて聞き捨てならないこと言っていた。
だが結果的に赤羽が残った盤戸でも関東大会出場が叶わなかったのも事実だ、例え全力を出し切って死闘とも呼べる接戦に後一歩相手に及ばず惜しくも敗退してしまったと言えども。

赤羽の前回の秋季大会において唯一選手として出場が許された3位決定戦。

敗戦とはいえ、盤戸の得たものも大きかったし、負けたからこそ得たものがあったとコータローは確信している。あの試合を区切りに過去とは決別し盤戸は新たな一歩を踏み出したはずだった。試合終了後に自分の流した涙は色んな思いが込められていた。そしてそんな涙は二度と流さないと心に固く誓った。
感極まる想いだったのは果たして自分だけだったのだろうか、赤羽にとってもあの試合は特別なものになったんじゃないだろうか、いっそ心の底まで洗い流されて清々しくなった敗戦ではなかったのか。

後悔などしてる訳がない。

そうコータローが思うことはただの驕りなのだろうか。

強い選手なら誰でももっと上の世界まで勝ち上っていきたいと思うのは当然だが、それはチームワークを大切にした上で仲間たちと共にあるべきではないのか。アメフトは個人競技ではない。

赤羽はそんな冷たい人間ではない、薄情な人間ではない、どこかでそう信じている気持ちがあるのにあの夢はそれを揺さぶる。

確かめるべきなのだろうか。

本心を。

盤戸にいて幸せなのかどうかを。


授業中、そんなことばかりを繰り返しコータローは考え込む。そしてもやもやしているなら早めに発散した方がいいと放課後までに赤羽に掛け合ってみようと決意する。どうにかこの迷宮から抜け出したいその脱出の糸口を見つけ出したい。
だからコータローは静かに昼休憩を待った、きっとその時間にあの場所へ行ったら赤羽に会えるはずだ。


そして昼休みが訪れて、コータローは昼食を取る気配もなく真っ直ぐにどこかへと向かう。向かう先は資料室、ほぼ赤羽が管理しているといっても過言ではない絶好の密会地でもある。
閉められたドアのノブを握り、中から微かに音が聞こえてくることから尋ね人は必ずここにいると信じドアを開ける。すると案の定ギターを抱えて椅子に脚を組みながら座っている赤羽の姿が見える。この位置からだと後姿だが、その赤い髪とギターが何よりの証拠。

「…コータローか」

更に振り向きもしないのに尋ね人を即座に当てた赤羽、まるで用があると分かりきっていた様子だ。
赤羽は、これが昼食なのかサラダを食しながら真っ直ぐとテレビを見つめている。昼休みでも相手チームの研究を怠らない赤羽は明らかに働きすぎだと思う。

「お前それが昼飯のつもりかよ」

「そう言うお前は何も食べずにこっちへ向かったんじゃないのか?」

また見透かされている、沈黙を避けたくて無理に話しかけた結果がこれだ。コータローは思わず舌打ちをした。
赤羽のすぐ隣まで移動したコータローは、授業中ずっと頭から離れなかったある疑問を本当にぶつけてよいものかどうか、ここまで押しかけてきたくせに迷っていた。頭の中で考えている時はちょっと聞くくらい問題ないと思っていたが実際本人を目の前にすると聞き辛いのが本音だ。だからコータローはしばらく近くに寄ったまま口を開かなかった…当然赤羽もそれに疑問を抱くだろう。

「……何か用があるんじゃないのか?」

やっぱりそう聞かれて、しぶしぶコータローが口を開きかけた時、目の前に思わぬ映像を見る。

「っっ!!」

視線がテレビから離れられない。
どこかのアメフトの試合のビデオが流れていることは最初から分かりきっている。
問題は赤羽がどこのチームの試合のビデオを流していたかだ。

目の前にはっきりと映る、一昨年前の秋季大会…つまり赤羽もコータローもまだ一年だった時の映像だ。相手は準決勝で当たった強豪チーム、その強豪とめまぐるしい発展を遂げた盤戸との対戦VTRだった。
こんなところで思わぬビデオを見せられて、思考が止まり時間も止まってコータローはかつての仲間たちが同じチームにいた頃の『過去』を見せ付けられた気がした。しかもこれは赤羽が見ていたもの、赤羽が一昨年前の盤戸を今頃になって見ていたのだ。


2へ続く。




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