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*ナイトメア−2−* まさか…と思わず息を呑んだコータローは辿り着きたくない答えに辿り着いてしまいそうで途端身体が震え上がった。直接問い正す必要はなかった…こんなところで答えを聞き出してしまったかのような恐怖がコータローの視界を暗くする。 「…コータロー?どうかしたのか??」 「………なんでこんな古いの見てんだよ……」 「??」 「何で今頃こんな昔のっっ、俺らが一年の時のビデオなんかっっ」 後悔しているとでも言うのか。 あの頃の盤戸が一番輝いていたとでも… 「…??…ああ…、過去の試合映像でも参考にはなる…これがどうかしたのか?」 突然様子がおかしくなったコータローに赤羽も当然驚かない訳がなく、叫ぶような声に萎縮しないまでも当然気にはなった。やはり朝からどこかコータローは情緒不安定だ、そう思わざるをえなかった。 けれど何をそんなに必死になって声を荒げているのか、それが赤羽には理解できずなかなか真相に迫れないでいる。何かを訴えるような厳しい眼は生易しい感情じゃない、でも原因は本人の口から聞きはしない限り到底赤羽には分かりえないことだ。 コータローが何か言葉を発してくれるのを待つけれど、睨みつけるように視線を合わせたままピクリとも動かなくなっている。赤羽もそれに思う存分付き合ってあげたかったのだが、肝心のビデオが流れっぱなしだ。丁度見ておきたかった部分を今ので見逃してしまい、赤羽は仕方無しにコータローから視線を逸らしてリモコンで操作する。 「っっ!!なに目ー逸らしてんだよっっ!!」 すると途端怒鳴るような声が上がって、現状を理解できない赤羽はとりあえずビデオを止めて不思議そうにコータローを見ようとするが、その前に無理やり顎を掴まれ向き直されて、強制的に正面から顔を合わせられる。 そして何事かと思ったその瞬間、間髪いれずにコータローはおもむろに奪うように赤羽の口元に自分のを重ね合わせた。ガチッ、と一瞬音が鳴ったような、瞬時に痛みが駆け上るけれどもコータローは離す気がないのか、逆に強く相手の後頭部を固定したまま押し付けるように唇を貪った。 さすがに面食らったような顔を見せる赤羽だったが、突然のその行為にも突き放すような冷たい素振りは見せず、ただ相手が望むようにジッとして、深い交わりを欲してくればそれに応じて舌を絡めてやる。 コータローとこうすることは実は初めてではない、だがこんな切羽詰って精神を病んでいるコータローを見るのは初めてだった。 今、資料室のドアを開けられれば、確実に二人の行いは第三者に知られる。そんな恐怖も持たないことはないが、それでも赤羽はコータローを受け入れて、自分からも腕を回して、濡れた唇を淫らがましく相手のそれと合わせる。時には吸い付けるように音を立てては濃厚に二人は交わっていく。 いつまでそうしているのか、身体の熱が昂ぶるまでに情熱的なキスは尚も続き蕩けそうになって、息苦しさも忘れその激しさから吐息が漏れ始める。お互い顔を赤く染め上げてその行為にどこまでも欲情する。 ようやく離された時は、赤羽の口の端から雫が垂れていた。 しかし互いの目線は離れずに、まだ物足りなさそうな表情のコータローを見つめているとまるで赤い瞳を持つ赤羽の方が飲み込まれそうになる。このまま引き下がる雰囲気ではない… 至近距離からコータローが赤羽に囁く。 「…やろうぜ」 もうとっくに覚悟はできているつもりだったが、いざ惜しげもなく投げ出されたその言葉を耳にすると現実的な問題点が頭をよぎった。場所に関する不安は計り知れない。するとそんな懸念を獣の本能で嗅ぎ取ったのか、コータローは少々意地が悪そうにこんな事を口にする。 「嫌なら別にいいんだぜ?」 その文体だけ見れば相手の意思に委ねているように思えるが、この状況では吐き出せる返事は一つしかない。 「……構わない」 少しだけ間をおいて、既に用意されていた返答を相手に伝えるとコータローは飢えた様子で椅子から赤羽を引き摺り下ろし、ギターを遠のけて、少し奥にある空間で彼を組み敷いた。 資料室から事を終えたコータローが足早にまるで逃げるように去っていくと、赤羽は当然一人残される。まだ衣服が乱れたままの状態でゆっくりと身体を起こした。硬い床で行為に臨んだ為か身体のあちこちが痛い。また残骸が飛び散っており、赤羽はフーと息を吐きながら後始末をする。別に逃げたコータローを責めるつもりはないが、やはりこれはただ事ではないと先程何故彼があれほど激昂したのか一から順序よく考える必要があった。 赤羽は身の回りを整理しながら、衣服もきちっと最後までネクタイを締めて正しく制服を着用する。そして少々腰は痛かったが、いつもの椅子に座りギターを抱え直して一息つく。ようやくいつもの自分に戻すことが出来た。そしてビデオを再生する、さっきコータローはこのビデオを見た途端表情を変えてしまった。 ―ここに何か原因があるのか?……ただ俺は春季大会の参考の為に相手チームのフォーメーションや動きを再チェックしていただけなんだが…― 例え昔の映像とはいえ、必ず何かのヒントにはなるし、毎回大会前は昔の映像まで引っ張り出して研究に研究を重ねることは赤羽には良くあることだった。だからそれに関して怒りを覚えたとはどうも考えにくい、むしろコータローの台詞は相手チームより自分達盤戸スパイダーズを気にするような発言が目立った。だとしたら原因は相手チームではなくこの一昨年の盤戸のチームに関係することではないかと赤羽は徐々に組み立てていった。 すると自ずと見えてくる事がある。 このチームを見て思い出すことはコータローにとっても赤羽にとっても一つしかない。 ―しかし何故今更?もう決着はついただろう…― まだ過去の亡霊に取り憑かれているコータローを思うと赤羽も胸が痛い、知らずとはいえ自分も一時は傷つける側に回っていたのだから。けれど深い深い心の傷がそう簡単に癒えるだろうか…もしかしたらまだコータローには何かしらの不安が残されているのではないかと考えた。しかし帝黒からもあれ以来何も音沙汰なく、元部員達とのトラブルも何も聞いてはいない、ならば最後に残された赤羽自身に何か思うことがあったのかもしれなかった。 繋がるようで繋がらない一本の糸。 あれだけの自信家でもあるコータローが一体に何に対して脅かされているのだろう。 やはり身体で慰めてやっただけでは真相は見えてこないと、多く会話を交わせなかったことを悔やむ。きっと何かを自分に尋ねに来たコータロー、その言葉さえ聞けば全ての謎は解けたのかもしれないのに。 まだ過去に振り回されなければいけない理由がどこにあるというのだろう。 未だ悩み苦しむコータローの姿を思い浮かべて、赤羽は哀しそうに瞳を閉じた。 放課後。 練習は通常通り行われ、基本別メニューのコータローは人と合同練習というよりキックとゴールポストを睨めっこする練習が数多い、勿論団体で練習を行う時もあるが大抵は専用メニューだ。なので他部員達に妙な調子の悪さをひた隠しに出来るわけだが、もう既にジュリと赤羽に見抜かれている為、正直コータローも練習がやりづらい。また赤羽とはあの昼休み以来で、変に逃げてしまったから何となく顔も合わせづらい。それよりもむしろ気になってしまう赤羽の本心。 目の前にボールがある、ゴールポストもある、後は自分が精魂込めて蹴り上げてボールをポスト内に収めてやるだけだ。だが今日は精神的乱れから成功率が普段から著しく落ちている。今の自分がこのボールを蹴って上手くポスト内に収めてやることが果たして可能なのかと変な疑問すら湧いていた。 今までひたすらキックを極める度に何千回とこのボールを蹴ってきた、そして確かな技術を身につけ自称ではあるがNO.1キッカーと自ら最強を名乗りずっと今までやってきた。そこには確かな自信がある、あるはずなのに目の前のボールに、自分の脚にそれが見出せない。最強でい続けるはずが泥門のムサシにその甘さを指摘され、その精神的脆さを突かれて、盤戸は敗退した。 負けたのだ。 チームも、キッカー対決も。 チームの敗退は個人の責任じゃない、それくらいは分かっているが…今になって自分が信念を持ってやり続けてきたことが全て無駄なように思えて、空回りしてるように感じて、赤羽をも巻き込んでしまったような罪悪感、そして絶望。 コータローは暗い自分を打ち消すために、突然思い立ったようにひたすらボールを蹴り始める。例え綺麗な孤を描けなくともゴールから逸れてしまっても、一心不乱に迷いを吹き飛ばすかのように弱い自分を責め続ける。あんな夢を見たくらいで何を縮こまっているのか、赤羽のことだって勝手に自分の想像が間違った方向に大きく逸れすぎただけで決して本人の口から聞いた訳じゃない。 全ては自分の中の空想だ。 不安になるな不安になるな。 自分が間違ってたなんて死んでも思ってはいけないんだ… 全身汗だくになるまでキックを続けていたコータローは息も切れ切れに、疲労からその場へ少ししゃがみ込む。すると頭からタオルが掛けられて自分の隣に誰かが立っているのが分かる。その足元はユニフォームを着ていることから赤羽だとコータローは悟った。 「…今日はもう終わりにした方がいい」 「ダメだ…まだダメだ、もうちょい続けねぇと…」 「キックに迷いがある、その状態では綺麗な旋律を描くような美しい孤は作れないだろう」 「……なんだそりゃ」 こんな時でもその意味不明な赤羽の言い回しは少し気を楽にするものだった。コータローは滅入り始めている自分の気を何とか元の場所に戻す。どうしようもない…途方もない悩みは持っているだけで疲労する。 「今日は少し早めに練習を切り上げる、お前ももう休むんだ」 そしてその言葉の通り今日の練習は早めに切り上げられる。大会も近く疲れを残さない為だと赤羽は言っていたが明らかに自分のせいだろうとコータローは考えていた。 何も気付いていない部員達は練習の後片付けをし帰り支度を始めて、次々とこの校内を去っていく。一人去り、また一人去って人数はいずれ限られてくる。 まだ帰るつもりのなかったコータローは着替えもせずグラウンド場のベンチに一人腰掛けて、日が沈んでいくのをぼんやり眺めていた。 「…いつまでそうしているつもりだ?」 すると当然見逃してくれるはずもなく既に制服に着替えた赤羽が声を掛けてくる。気がつけば誰もいないグラウンドであの時のメンバーが二人、あの敗戦から再スタートを誓った二人。 「………こうしてるとよ、何かあの時の連中がすぐそこにいるような錯覚を受けるんだよ…」 呟くように話し始めたコータローの視線にはだだっ広いグラウンド、けれどきっと夢の連中が幻となってそこらを駆け巡っている。悪夢としか言いようのない出来事は確かに起こり、そして現状がこれだ。時間が経った後、こんなに改めて思い出すこともなかった…夢で数々の暴言を吐かれるまでは。根底まで否定されなければ。 「……まるで戻りたい風に話すんだな…、お前はあの頃に戻りたいのか?」 「なっ!!戻りたい訳ねーだろう!?冗談じゃねぇ…誰が!!」 「ああ、俺も戻りたくない…」 「!!」 そんな数々の疑問や不安の答えともなるような言葉をあっさりこの場面で吐いた赤羽、そしてそれは当然そうだとばかり思っていたコータローの考えとも一致、何も悲愴に暮れることすらない。そうだ、そんな簡単な答えで話は済んだのだ、それなのにここまでグチャグチャと考え込んで… 「はっっ、そうだよな、そりゃーそうだよな、誰だって戻りたくねーよな?クソッ…そんなこと分かりきってたのによ…チッ、それをよくもここまで盛大に落ち込んだもんだよ俺も」 「…………それが原因か?」 「……まさかお前がここに残ったこと後悔してるなんてよく俺の夢の中でも思いついたもんだぜ、バカらしい、畜生っ…それなのにあいつらよってたかって人の事否定しやがって、お前のやってきたことはムダだとかよ、キックだけで勝てる訳ねーとか、根本的に合わねぇとかどうとか、勝てなかったのはキックにこだわった俺のせいだとか、散々俺の夢の中で言われたぜ…」 「…コータロー」 「こんなチームよりももっと自分の能力を生かせるチームへ移りたいと思うのは当たり前、だからお前も移るべきだった、きっと弱いチームに残って後悔しているに違いない、…バカにしやがって!キックなんかどうだっていいって俺のこと全否定しやがって…おまけに俺も勝手に不安なって本気でお前が後悔してると思い込んでよっっ、分かってたのによ…」 コータローの感情が昂っていくのがその表情から見て取れる、所詮夢は夢で有り得ないと否定していてもどこかでその不安を抱えていたから、相手の非難する言葉もどこか図星を言い当てられたような苦しい気分になって一気に溢れ出てしまったのだろう。 「こんなことで振り回されて、キック練習も身が入らねぇし唯一信じてきた脚にまで裏切られたみたいでよ、ボールは入らねぇし…、間違ってないのによ…俺は何も間違ってないのによっっ、でも勝てなかったことも分かってんだよ!!畜生っっ!!」 気がつけばもう二度と流さないと誓っていたあの涙が頬を伝い、悔しさが滲み出た顔はグチャグチャで、一気に吐き出したはいいが自分で何を言っているかいまいち分かってはいなかった。俺がお前の夢を奪った…それが現実ならばそれこそ悪夢以外の何物でもない。 「…後悔…してねぇだろ?………ここに残ったことっ」 ボロボロと抑えきれなくなった涙がパタパタと地面に落ちる。 「……何故…俺が後悔をする、俺は自分で望みここへ帰ってきたんだ、盤戸以外で…お前のいないチームでアメフトはできない、それを疑われているようじゃ、俺は淋しいよ…」 「…ッッ!!」 もう言葉にはならなかった、疑うばかりで仲間を信じきる気持ちを失いかけていた自分が歯がゆかった。こんな単純なことが見つけられなくて逆に赤羽を傷つけているようじゃ話にならない。けれど優しく肩に何かが触れられたと思いきや、まるで子供をあやすように自分を包み込んできた赤羽の抱擁に泣きじゃくってるコータローは自分が恥ずかしくて仕方がなかった。 「お前はお前だ、自分の信じる道を進めばいい、誰もそれを否定できなし止められないよ…」 「ああっ…、そうだなっ」 心の高揚も収まりつつあり、何か不安定なものや誰かの皮肉も全て浄化された気分だった。過去にいつまでも囚われてはいけない、どこかで決着をつけないといけなかった。 赤羽もようやくコータローを永き苦しみから解放できたと心底安堵する。決して独りではないのだから、追い詰めるような真似はさせない。いつまでも自分の存在が支えであり続けるのだ。そして最後のフォローも… 「…泣き止んでもう少し顔がまともになれば、部室へ向かうといい、心配をかけていたのは俺だけじゃない」 「っ!…あ、そっか…そうだな………………………、よしっ」 まだもう一人憂いの表情をした者が残されている。今回自分には何も出来ないと辛いながらもそれを悟り、全てを赤羽に任せてひたすら待っていた彼女。どうかいつものコータローに戻ってほしいと。 コータローは意を決すると赤羽から離れて、少々鼻をすすりながらジュリの待つ部室へと向かう。顔は酷いがいつもの笑顔に戻っているコータローを見ると今度はジュリが泣きながら抱きついてくる。 今、悪夢は去った。 ようやく永きに渡る悪夢から三者とも解放されたのだ…。 END. |