*耳かき*


山吹中学テニス部内でのある日の風景。
その日は特に目立った行事も特別な練習メニューもなく、比較的穏やかな空気が流れていた。部室を取り囲む空気も格別穏やかなもので、少々マイナスイオンがどこからか放出されているような感じだ。決して千石のロッカーの上に飾られてある招き猫からではない。

「あ〜、ヤケにのどかな一日だなあ」
放課後、練習前。部長である南はジャージに着替え終えた姿で、部室に備え付けの椅子に座り、机の上に肘をつかせ掌に自身の頬を乗せ預ける。普段は真面目で口うるさい彼だが、今日は何故だかエンジンが掛かり切らない。
でもたまにはこんな日もあって良いかと思う。

「そうだな、他の部員等も全然集まってこないし」
南の相棒である東方も同じように座り込んで机に肘をついていた。先程から何人かはこの場所で部員を迎えて見送っていったのだが、どうもまとまった人数がやってこない。

「こんな日は何だかやる気をなくすよなあ、眠くなってきたし」
南の部長らしくない発言が飛び出したが、それは自分に対し理解力のあるこの男の隣だからこそ吐き出せた代物であって、他の部員の前では決して話せるものではない。
「やる気出してください部長ー。あと部室では寝ないでください、襲われちゃうぞ〜」
そうは言いつつ東方からも満ち溢れるようなやる気は微塵にも感じられない。どうも二人揃って5月病に掛かってしまったみたいだ。
「誰にだよ〜、ふあ〜っ」
本格的に眠気が襲ってきたのか、南は大きな欠伸を手で隠しながらとろけた眼を手で擦る。口では適当に相槌を打っているみたいだけど…

「え?俺に…」

南から返ってきた問に、そう答えて東方も大きな欠伸を一つ。しかしその欠伸をし終える前に自分の右側から激しい蹴りが繰り出されていた。

ガッシャーーンッ!!!

「イタ〜〜ッ!急に何するんだよ、南!」
「それはお前だ!この変態、あっち行け!!」
そして南は虫を追い払うかのように東方に対して手を振り続ける。その激情を訴えるかのように眉間に皺を伸ばしながら。
途端、闘神が目覚めたようだ。

「なっ!冗談に決まってるだろ〜!?俺が眠気の冷めない南に対し軽いジョークで起こしてあげようって言うこの心遣いが分からないのか!?」

「分かるかっそんなもん!!俺はなー、そういった冗談が嫌いなんだよ!」
正に必死で反論するその南の姿に言葉の意図は堅実に表れている。マジメっ子をからかう時は加減をよ〜く注意しよう。しかし今回の場合、更に冗談を言う側もある意味負けてはいないのだが。
「えっ!?じゃあ冗談じゃなかったら良かったのか?」
床に転げ落ちながら真顔でそんなことを吐かれて、当然南はより一層激しい怒りを身体全身で感じた。

「そういう問題じゃないわっ!!全く……っ」
プンプンと腕を組みながら、まだまだ気が治まらないような顔を見せる南。東方はずっこけながら、溜め息をついて倒されたままのパイプ椅子を手に持ち定位置へと戻しておく。そして自分も改めて腰を掛けなおした。
―相変わらず乱暴だなあ、南は…恐い恐い―

「あ〜っもう、お前とくだらない事ばっか喋ってたら耳がむず痒くなっただろう?あ〜奥が気持ち悪い!」
小指を無理矢理狭い耳の中へと潜り込ませて行くが、届いてほしい箇所まで到達出来る訳もなく南はもどかしい気持ちを抱きながら更にイライラ度を増していく。
「いやっ、耳は俺関係ないだろ。それは俺のせいじゃないぞ」
正論を振りかざしながらも東方は一息ついて、その場から立ち上がり自分のロッカーを目指して歩き出す。そして中にあるカバンを探り出すと、ある物を取り出した。

「俺、耳かき持ってるよー」
まるでそれが自然の流かのように東方は涼しい顔で片手に耳かきを携えていた。もちろんそれに対しての南の反応は驚きと寒さがコラボレーションした様子で…
「何でそんなもん持ってるんだよ…」
不思議な生き物を観察するような眼差しで、どこか嬉しそうな東方の動向を見守る。どうにも嫌な予感がしてならない。
「…か、貸してくれるのか?」
恐る恐る尋ねてみると、笑顔なのに返答はせず南からしてみれば不気味さだけを漂わせていた。

―な…何だ何だ?―
不安の隠し切れない南だが、再び自分の隣に腰掛けた東方を見守りつづけた。ちなみにこの時点ではもう耳内部の痒みは取れているのだけど。それを今伝えるべきかどうか南は悩んでいた。何となく次に発せられる東方の言葉がわかるような気がして、妙な胸騒ぎを覚える。
「あっあのさ…それー…」

「うん、今から俺が南の耳掃除してやるよ」

―やっぱりかいっっっ!!!―

どうやら予感は的中らしい。伊達に他の人よりも長い時間を共にはしていない。でもそんな以心伝心…あんまり嬉しくないな。
「いやっ、いいよ。自分で出来るしさ…遠慮しとく」
耳かきだけ貸して?と手を伸ばす南であったが、東方はちっとも譲る気など持ち合わせいないらしい。
「大丈夫だって、俺こう見えても耳かきは上手だから。ほらっ寝て寝て」

―耳かき『は』上手?……こいつは一体何と比べているんだろう…―
南は不思議に思った。
しかしあまりにもシツコイ…いや熱心な東方の姿に折れたのか、備え付けのパイプ椅子をピッタリ隣り合わせて、難しい体勢だがその上に生贄のように寝転がる。

「ったく…しょうがないなあって、うっ…ちょっと窮屈なんだけど…背中とか痛いし…」
それはパイプ椅子なんだから仕方がない。20.5巻が長椅子設定だったら良かったんだけどね。仕方がない…
「はいはい、ちょっと我慢する。ほら俺の膝の上に頭乗せて」
南は東方の言うとおりに素直に頭を相手の膝の上に乗せる。そして古びた机側に顔を向けて、ちょっと落ち着かない様子だ。
「たっ頼むから…痛くするなよ?」

「え?南、痛いの慣れてるだろう?」

「っ!」
ツネリッッ

「イタタタタッ!ゴメンゴメン、冗談だよっ」

「バカ言ってないでっ、さっさと始めろ!!」

なんかもう…部室でなくて、あんたらの家でやってほしいものだね。今は丁度部員が誰もないから出来るけれども。いつ誰が入ってくるやも知れないし…男同士で膝枕で耳かきはどう見てもおかしいだろ。
でもズれてる彼らは今日も自然に不穏な空気を作り出すのだ。

「南最近耳掃除してないだろ?」
「悪かったな…つい忘れるんだよ…」
もう平静さを取り戻している二人であったが、次の瞬間。

ガチャッ。

「ウイーッス!さあ皆今日も一日頑張ろう〜!」
「ちーっす…」
すると見事なタイミングで部室のドアが開かれ、そこには千石と室町の姿があった。

『あ……』

四人全員似たような声を上げて、真っ先に行動を起こしたのは意外にも二年の室町であった。
「えーっと…部室間違えました」

「合ってる、合ってるよ〜室町君!現実逃避はよそう」
それを千石が慌てて引き戻す。あきらかに室町の表情は「やってられるか!」と物語っていたが、部室に入らないと着替えも出来ないので渋々先輩に連れられて中へと足を踏み入れた。
「いや〜何々?東方に耳かきしてもらってるの南ー、いいね〜」
「代わるか?」
「うんにゃ、結構」

そして耳かき組の後方にロッカーがある千石と室町は、そのまま移動して無言で着替えを始める。室町なんかはもう完全無視を決め込んでるみたいだ。千石はどこか微笑ましげな表情を浮かべている。両極端な先輩と後輩。
だが彼らが無言でも、背中の向こう側から遠慮のない声が聞こえてくる。

「南…どう?気持ち悪くない?」

「うん、平気」

「じゃあ…」

「イタッ!!!こらっ、急に奥へ入れるな!!」

「ゴメンゴメン、でもコレ奥に入れないとさ…」

「ゆっくり入れろよ、頼むからゆっくり!!!」

「うん…気をつけるよ、南も多少は我慢してくれよ」

「イッ!!うう…(我慢我慢…)」

「南すっごい溜まってるよな…ダメだぞ、ちゃんと適度に…」

「うるさいなあ…分かってるよ、皆まで言うなっってコラ!中で掻き回すな!」

「もう少しなんだけど…なかなか難しいっ、暗くてよく見えなっ…」

「あっ…ダメダメダメ!お前無理矢理っ!」

「南は手強いなあ…俺ちょっとは自信あったんだけど、下手みたいじゃんか…」

「もうっ、ちょっといいからっ早く抜いてくれ!!」


・・・その頃の着替え組はというと。

千石が真っ赤な顔をしながら、着替え終えれず中途半端な格好なままで変な想像にふけっていた。そしてふと隣の室町に視線を向けると…

―大変だ!室町君の色素が抜けて顔面蒼白になってる!!!―

まさに魂が抜けた状態。あと小刻みにどうやら震えているようだ。
「おーい、室町く〜ん。帰っておいで〜」
するとその千石の声が届いたのか室町は数秒後肉体へと戻ってきた。
「ああ…すみません、何ですか?」

「ん?いや〜〜〜…後ろの二人、なんかエッチしてるみたいだねv聞いてるコッチが恥ずかしいよ〜」

―折角忘れていたのに、言うなよコノヤロー―

ブチン。

「そんな気色の悪いこと言ってないで、さっさとアレ止めてくださいよ!!アンタあの二人と同級生でしょうがっ!」
思い出したくもないことを思い起こされて、とうとう活火山が噴火活動を始めた。しかも相手が先輩だということも忘れているようだ。

「コラコラ!先輩に対して『アンタ』呼ばわりはないだろ〜室町君!」
しかし千石はあくまでもマイペース男。元々常識人ではないのだ。まともな返答などを決して求めてはいけない。
「もう嫌だ俺…こんな部、やめます」
「ダーメダメ。室町君がいないと来年の山吹が大変じゃないか〜」
「そうですか…分かりました。じゃあ早くホモと変態とヤンキーは引退してください」
―オレの事…変態だって思ってたんだね、室町君…―
ほんの少し自分が虚しく思えた千石清純だった。

そして室町は我関せずを貫いて、用が済めばこの異常な空間から無表情で足早に去って行った。しかしその後姿からは激しい怒りの炎が見え隠れしていたが。
―う〜ん、焼きいもが焼けそうだね…―
最後までおふざけを忘れない千石、もう性分だと思われる。
室町が去った後は、奴等を除いて一人ぼっちだったので手早く着替えを済ませ次なるターゲットを視界に映す。もちろん耳かき組の奴等だ。

「コラコラ〜、そこの次々と卑猥な声を上げている二人〜、そろそろ止めときなさい!大事な後輩が逃げちゃうよ〜」
ひょっこりと南の寝そべっている内の一つのパイプ椅子後方から千石は顔を覗かせる。逃げた後に逃げちゃうぞ〜では説得力がない。

『ハア?』
当然南と東方は、彼らにとって突然の静止の言葉に首を同時に捻らせている。全く意味も通じていないみたいだ。ある意味さっぱり周りの事態に気がついていない。自然と有毒電波を発生させている。ちなみに後輩一人が被害にあった。

「その辺までにしときなさい、部長がこの状態のままじゃ練習が始まらないよー」
だがその千石の言葉とは裏腹に、混み合うこの時間帯に部室内には彼ら3人以外部員の姿が見られない。このままではどっちにしろ練習は始められそうになかった。
「お前そう言うけど、今日全然人が集まらないんだけど…何でだ?」
ギクシャクした体勢のまま椅子の上で寝転ぶ南は辛そうだが何とか視線だけを千石に向けた。でも千石も首を振っている状態で、質問の答えは返ってきそうにない。

しかし千石の言うとおり、自分たちが身動き取れない状態では少人数とは言え練習が始められない。それは重大な問題だ。
「おい、東方。もう終わる?」
「うん、もう終わる終わる。そっちの耳はいいのか?何だったら練習終わってからしてやってもいいけど」
まさかのとんでもない申し出に千石だけがビビりながら、南は冷静に「別にいい」と返事をしていた。千石はホッと安心する。
「うんうん、やめときなさい。本当に皆逃げちゃうよ…」
どうしても続きがしたければ、互いの家でやれ!という話だ。公共の場で『耳かき』は禁止にしておかないとテニス部を担う若き部員が皆去っていってしまう。

「う〜んと…あっよし!これで終わり」
「サンキュー」

そしてやっと終わってくれたみたいだ。椅子の背もたれ部分上部に手を敷き顎を置いている千石は何度も良かった良かったと頷いた。自分が見ている分には楽しいが、許容範囲を超す部員たちもここには沢山存在するので、そんな人たちの為に。
だが恐るべき事態は、千石の予想を遥かに越えて…この後に起こりうるのだった。

「はい、最後の仕上げ。フ〜〜ッ」

「ひゃあ〜〜っっ!!」

「!」

「急に何するんだよ!気持ち悪いなあ!!」
真っ赤な顔で起き上がった南は、目の前の…何で今南に怒鳴られているのか理解できていない男に対し苦情を申し出た。東方は目を白黒させながら、さらりと一言言い返す。
「えっ……耳かき終わった後は普通するよな?うちん家そうだけど…」
「だからってお前が俺にするな〜〜〜!!!」
要するに南は戸惑っているんだよね?思わず全身を駆け巡った寒気と言う名の如何わしいものが感じられて。
「あー…ゴメン。次は気をつけるよ」
だがダンナは気がついていない様子ですが…しかも次と…彼の中では次があるようです。

「・・・うわー」
しかし千石は南の状態を何となく感じ取って、更に場の雰囲気にあてられて…同じく赤面しながらそうっと部室を後にした。見てはいけないものを見てしまったのかもしれない。
「いや………スゴイ、あっぱれ」
穏やかな外気に触れて、心を落ち着かせる千石。しかし何故か胸の鼓動が収まりきれず、その場でしゃがみ込んで地面の上に『の』の字を指先で辿った。

―恥ずかしい子たちだ!―
伏せっていると、ふと部室のドアに貼られた一枚の紙が目に付いた。
「おやあ〜?」
疑問に思い、その紙に書かれた内容をよく見て見ると…

『現在部室、絶対立入禁止』

縦書きの力強い筆ペン書きでそれは書かれていた。しかもまだ墨が乾いていない。
「ん?こんなのオレたちが来た時はなかったぞ〜?う〜む…!…ははーん、さては…」
千石はどこか納得した表情でその場で一人仁王立ちをした。すると物陰の方からテニス部員と見られる者たちがコソコソ千石のもとに歩み寄ってきた。
「あの……千石先輩、もう部室の中に入ってもいいんでしょうか?」
困り果てた表情で後輩が数人、先輩へ助けを求めにきた。どうやら制服のまま着替えられない状態で近くを彷徨っていたらしい。
「んん?あ〜もういいよ、ごめんねー。さあどうぞどうぞ」
親切に部室のドアを開けてあげる千石。当然中の状態はクリーン。

「あっ、やっと部員が集まってきたな…お前ら遅いぞー」
何にも知らない南は脇にラケットを挟んで、準備万端の状態で相方連れてようやく外部にやってきた。自分たちが原因とも知らず叱りつけるその姿に思わず涙が零れそうになる千石。山吹の未来は大丈夫か?
南に気付かれぬように張り紙を引き剥がして、クシャリとゴミ屑へと変貌させる。争いの種は早めに取り除くのが吉だ。

そして千石はそそくさとゴミ箱の中にそれを放り込み、部室を離れて一足先にコートで練習の準備をしている室町の元へ近寄っていった。
「ハロ〜、室町君!」
「………コート整備、手伝ってくださいよ」
「あのドアの張り紙…君だね〜?まあ気持ちは分かるけどさ、でも…いいなあ〜耳かき!オレも彼女が欲しくなってきた!!!してもらいたいし、してほし〜〜!!ああ〜〜っ」
突然身悶え始めた千石に、もう室町の表情が変わることはなかった。

「邪魔するんでしたら、アッチ行っててください。つーか早く引退してください」

「またまた〜〜、オレがいなくなったら本当は寂しいくせに〜。手応えある練習相手欲しいんでしょうが〜」

「じゃあOBででも結構ですよ」

ピシャリと冷たく言い放つ後輩に、もう少しでいいから尊敬されたいなあ…と強く願う千石であった。
でも室町はテニスプレイヤーとしての千石先輩に関しては尊敬しているんだけどね。要するに生活態度の問題であります。

ともかく彼らの『耳かき』が起こした騒動は、本人達の知らないところで酷く蔓延していたのであった。

もう東南の二人には、自粛しろっての話。
でも天然な二人だからこそ、愛らしい。


END.



え〜…新年一発目からスミマセン!!!微妙に下品でしたか!?
本当は東南?みたいな話にする予定だったのですが、もう奴らはデキてる設定に致しました。
え?何故って?東南が好きだからです!!!(強く拳を握り締め…)
ちなみに想像してたより話も長くなってしまいました(汗)いつも無駄に長くなっているような…
完全にコメディSSですが、東南の二人はどこまでも真剣で天然だ!という話です。
振り回される外野とか大好きなんですねvやっぱり一番可哀相なのは室町ではないかと(笑)
耳かきネタでしたが、あの会話だけの部分は打っていて猛烈に恥ずかしかったです!
そして違う想像を頭で繰り広げながら書いていました(笑)エロい東南っていいですね!
ちょっと全体的に走り書きなのですが、こんな文章でも楽しんでいただけたら幸いです。

こんな所で挨拶もなんですが、今年一年もどうぞよろしくお願い致します。ペコリ。
★水瀬央★


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