*雪景色* 昨夜、都心部では記録的な大雪となった。この雪は明け方まで降り続き、翌日もまだ警戒が必要だと天気予報では伝えられていた。この瞬間、大半の学生達は警報による臨時休校を期待してワクワクとその後の天気を事細かく注意し、気持ち半分学校を休む気でいるだろう。また朝起きてから必ず警報が発令されているかどうか確認を怠らない。 しかしそんな世間の学生達が踊る中、早朝から赤羽は規則正しくいつもの時間に起床して学校へ行く準備をしていた。どうやら昨夜の大雪の程度を詳しく知らないらしく、又一人暮らしであることから家に帰るとそのまま自分の世界に入り込んでしまって、そうなるとテレビでニュースを見ることもなくなってしまうから世間の情報が一時的に疎くなる。まさか昨夜の内に都心部に大雪警報が発令されている事など知らなかった。 また今日はタイミング悪く、朝からテレビをつけようとしない赤羽は一人黙々と朝練開始の時間に間に合わせる為にカバンとギターを持って(とんだ大荷物だ)昨日と何の変わりなくマンションを出た。一階まで下り、一度建物の外に出るとその変わり果てた世界に思わず目を奪われる…自分の知らない内に一体外で何があったのか、この真っ白な景色は何事だろうと赤羽は足を止めた。 ―……凄い雪だな…昨夜の内にこれだけ降ったのか…― しかし例え道にも積もるほどの銀世界が目の前を広がっていたとしても赤羽は引き返すことなく、足元には気をつけながら学校への道を歩いていく。空模様も決して晴れてはいなく、またいつ何時雪が降るかもしれない状況ではあったが、朝だと言うのにやけに人気のない道を何の疑いもなく進んでいく。学校までは徒歩で行ける距離だ、せめて学校までは足を運ぼうとサボる気などさらさらない赤羽。 しかしギターは置いてきた方が良かったのかもしれないと、この怪しい天気には思わされる。楽器は水気に弱い、ケースにしまってあるとは言え万が一の事もある。この命の次に大事な存在のギターを危険な目に合わす訳にはいかない。けれど引き返すには少々判断が遅かった。 結局そのまま登校する赤羽は一つ一つ真新しい雪を踏みしめながら、少し風流さを感じていた。むしろ一曲奏でたい気持ちにさせられる。だが道の真ん中でそんな事が出来るほど常識のない人間ではない。ぼんやりとその赤い瞳で白く綺麗な雪を見つめながら学校へ向かう。真っ白な景色の中で赤く染まった者が一人歩いていく姿は端から見てみるととても情緒を感じるだろう。不思議な不思議な世界。 そしてようやく学校まで辿り着いた時、フェンス越しから見てもグラウンド上に人が見えず校舎に出入りしている人間の姿も見当たらない。職員の車は何台か止まってはいたが、それでもいつもに比べて数が少ない。 赤羽は校門前まで行き着くまでに、もう今日は十中八九休校だろうと予測はついた。しかしとりあえずは校門まで歩みを進める。するとふと視界に校門前に座り込んでやたら不機嫌そうにしている良く見知った男の顔が映る。手元で雪を丸め込み辺りへ適当に放り投げて、そして向こう側も赤羽の姿に気付く。 「ああ?何だお前もかよっっ、今日は学校休みなんだとよっ!わざわざ来てやってのによ!」 勉強は好きではないが学校が休みに関しては相当不満そうなコータロー、ぶつくさ文句を零してやさぐれている様子だ。わざわざ来る…と言うほど家も実はそんなに遠くに離れている訳じゃないのに。きっと朝練できないのが相当悔しいのだろう、と赤羽は判断した。また休みと知らずのこのこやってきて学校前で休みを知らされ、無駄足を運ばされて身勝手にも腹を立てているらしい。 「…大雪警報でも出ているんだろう、俺も知らなかった」 「クソッ!授業はなくってもいいからせめて練習させろ!警報出てんの知ってたらずっと寝てられたのによっっ、ついてねぇ」 また一つ雪玉を放り投げたコータローの横を赤羽は通り抜けて、僅かに開いた校門から敷地内へ足を踏み入れる。するとグラウンドに何か走り回った痕跡を見つけて、きっと暇を持て余していたコータローが子供みたいにはしゃぎ回っていたんだろうと簡単に答えには行き着いた。 「おい、休みだって言ってんだろう?中入ったって無駄だぜ、警報出てて危ないから雪降ってない内に早く帰れって追い返されるだけだ、チッ」 まだ後ろでしゃがみ込んだままのコータローからそんな忠告を受けるが、赤羽は特に休校を疑ってる訳でもないし腹を立ててる訳でもない。ただ何となく誰もいないグラウンドに降り立ってみたくなっただけで…珍しく衝動的な行動を取ったのだ。このまま何事もなく家に引き返しても良かったのだが、折角ここまで来たのなら少しいつもと違ったこの景色を楽しんでみたかった。 いつも自分が座っているベンチを見つけて、そこにも雪は積もっており、わざわざ寄って行くことはしなかったが、何となく抱えたままのギターをおもむろに取り出してこの美しい世界に酔いしれながら相応しい曲を弾いてみたかった。だがやはりそんな真似はしなかったけれども。 「さっき散々走り回ってやったぜ、さすがに向こうまでは行けなかったけどな」 するといつのまにか後方に立っていたコータローに話しかけられて、少し赤羽は驚く。けれどそれは残念なことに表情には出ない。だが返答しなければならないような言葉でもなかったので、耳にした後コータローの言うまだ踏み入れていない地を見つめる。確かに踏み荒らされた様子のない自然に雪が積もったままの状態にその場所は保たれていた。 立ち止まっていた赤羽は唐突に動き出し、まるで引き寄せられるかのようにその地へ足を運ぶ。後ろからは少し離れていたけれど暇を持て余しているコータローも赤羽の後をついてきているようだ。 サクサクと雪の上を歩き、気持ちのいい音に心が洗われるようで赤羽はその綺麗な場所を目の前にそっと目を閉じる。そのまま2、3歩足を前へ進ませる。すると突然予測のつかない事態が起こった。 何もないと思われていたはずの場所に、どうやら雪に埋もれて視界には映っていなかったらしい石のような物が赤羽の足元のバランスを崩させ、また雪で滑りやすくなっていることから、赤羽は次の瞬間その場に踏ん張ることが出来ずそのまま雪の積もったグラウンドへどうしようもなく無力に陥った身体を倒してしまった。ただ途中上手く反転し、受身を取ったのか仰向けで雪の中に沈みこむ。大事にしているギターのケースも身体から離れてしまい無情にも雪の上に落下する。 けれど不幸は続き、その衝撃で赤羽の赤い瞳を太陽光から守っているサングラスが目元から離れてしまう。そしてそれに気がついた時は既に遅く、いつの間にか雲の隙間から覗いていた太陽が鋭い光を地上に向けて放っていた。 「っっ!!」 隔たりを失った赤羽の赤い瞳に朝の弱い光と言えども天敵とも言える太陽の光が直に差し込んでくる。その一瞬に受けた眩しさは目を眩ませ、赤羽は慌てて腕で光がこれ以上入ってこないように両目を押さえた。 だがその直後、大きな影が赤羽を覆い、目を押さえながらも不思議に思っていると不意に真上から話しかけられる。 「おい、眩しいかよ。でももう眩しくねーだろ」 さっきまで自分の後方をついて回っていたコータローの声だった。その近い位置からの声にまた驚かされ、赤羽は恐る恐る目を押さえていた腕を取り除く。すると倒れ込んだ自分に覆い被さるようにコータローの身体はあって、端から見れば押し倒されたような格好だったがどうやら自分の身体で影をわざわざ作ってくれたらしい。雪の上に素手で両手を下ろしているコータローのその手はとても冷たそうに感じた。 「……ああ」 本当ならば感謝の言葉の一つでも述べなければならない場面だったが、思ったより赤羽のダメージは深く今は返事をするのに精一杯の様子だ。雪に埋もれたまま相手の好意に甘え、痙攣を起こした目をしばらく休ませる。何度も瞬きを繰り返し、その度に赤い瞳が覗くけれどもやはり辛そうな状況だった。しかしずっとそうしている訳にもいかないので、赤羽は横に落ちて同じく雪に埋もれたままのサングラスを見つけては早く目にかけようと手を伸ばす。だが何故かそれは寸前で制止させられた。 コータローの手がサングラスを取ろうとする赤羽の腕を捉えている。 「…??」 突然何をするのか、全く意味が分からない赤羽は不思議そうに真上から自分を覗き込んでいる男の顔を見つめるが、特に変化は見られなかった。むしろ黙ったままジロジロと自分の方を見つめて動きが止まっている。 「…どうかしたのか?」 このままではサングラスが取れない…と心内で思いながら、もう随分と回復したその赤い瞳で相手の日本人らしい綺麗なブラウンの瞳を見つめる。視線を合わせたまま時間が流れて、何となく赤羽も無理に振り放す気にはなれなかった。まだ裸眼のまま…という理由もあるのだろうけど、また別の意思が働いて相手の行動に合わせる。 「………なんか、いいなあと思っただけだぜ…」 「…??、何がだ?」 ようやく口を開いたかと思えばまた理解不能な言葉だった。だがしつこく尋ね返すとコータローは今度はもう少し具体的に言葉で話し始める。 「……こうやって雪の中でお前見下ろしてるとよ…その赤い髪と瞳が一層映えて見えんだよな…、それがいいっつってんだよ…」 「…………」 また予想外のことを口にされて赤羽は相変わらず無表情だけど驚くと同時に特に反論することもなく無言で、物珍しく見られているのか特に不快には思わなかったが、ただジッとその鋭い瞳で視線を逸らすことなく、愛嬌のあるコータローの目を見つめ続ける。すると少し向こう側がたじろいだ態度を見せた。 「…おっおい、あんま見てくんなよ…」 少し頬を赤く染めながら、そんな勝手なことを言う。 「お前から見てきたんだろう」 そんな最もなことを指摘し、それでも尚視線を離そうとしないコータローは行動と発言がまさしく矛盾している。もう気が済んだならば仕掛けてきた自分から離せば良いだけのこと。けれどそれをしないのは他に目的があるから…赤羽は何となくそう思い始めていた。すると早速相手はそろそろと動き出す。 「…やべ、なんか……」 そんなどこか切羽詰ったような声が漏れて、徐々に顔が自分の元へ下りてくる。それから先の行動は簡単に予測がついたけれども、野外にも関わらず拒む事はせず赤羽はただそっと目を伏せた。 大雪警報が発令されてる中で凍えるような雪に埋もれながら、触れ合う身体の一部から温かな体温が流れ込んできて、じわりと全身を覆っていくような優しい熱を感じた。けれど触れただけでは足りないらしく、外だという認識が薄いのかコータローは突然何かに目覚めたように濃厚なものを求めてくる。 「…んっ!」 肩を抑えて赤羽の身体を固定しながら、コータローは途端スイッチが入ったように唇を角度を変えながら何度も押し付けて、その柔らかな感触を存分に味わいながら互いに唾液を混じり合わせる。薄く目を開けば、今は瞼とそこから伸びる睫毛しか見えなかったが、それでもあの綺麗な色をした赤い瞳を思い起こさせて行為は止まらない。外だしあまり調子に乗ると跳ね飛ばされる事必至だが、それでも深く交わりたくて舌を伸ばし口腔を侵しながら、周りの雪が解けていくほどの熱を生み出して互いの舌が絡み合う。 「んんっ…、んっ」 そんな相手の低くくぐもった声が聞こえてくると余計に引き下がれなくて興奮は高まる。積極的に攻め立てて、もっとドロドロに融けたいと願うのと同時に激しさは増していく。息も切れ切れに一心不乱にキスから得られる快感を吸い寄せる。 だが最初は協力的だった赤羽も長く重なれば重なっていくほど非協力的になっていく過程が行為を通してコータローにも伝わってきた。そろそろやめておかないとどんな目に合わされるかたまったものではないが、しかし走り出した列車は簡単には止まらず、また凄く気持ちが良くてまだ離したくないのがコータローの本音だった。 ついつい見惚れてしまった雪の中での鮮明な赤に、またその整いすぎた容姿に備わり異彩を放って一瞬にして…変な言い方をすれば虜になってしまったのだ。不覚と言えば不覚だが、それでも赤羽の見た目の華やかさも元より知っているし惚れ込んでいるには違いないのだが、ここまで情欲をそそられるものだとは思わなかった。場所や状況に構っていられないほど、どうにかこの瞬間に自分のものにしたくて身体が走り出してしまった。もうとっくに自分のものにはなっているというのに。 「っ…ん、はぁっ…んっ」 本当はもっと…もっと奥深くまで交わりたいのだが、ここではこれが限界だった。突き放されることはなかったが、ポンポンと身体を叩かれて「そろそろ離せ」と意思表示してくる赤羽に、名残は惜しいが仕方なしにこの行為を終える。舌と舌の間に糸が紡がれるがやがれそれも切れる。そしてよく見ると赤羽の口の端から唾液が一筋流れており、そんなに激しくしたかと少し焦る。だがすぐに手で拭われて痕跡は失われた。 けれどもコータローの中にはまだ確かな熱が燻っており、余韻も漂い現実に帰りたくない気が全身から滲み出ていた。キスだけで何もかもが昂ぶり、まだ熱に浮かれていたい気分だった。 「…なんかセックスしてるみてえだな…」 だからこんな台詞を躊躇なく吐き出してしまったのだけど。 だが赤羽の顔は逆に少々曇り、呆れたような声で返答してくる。 「…冗談はよしてくれ」 「なっ!俺だって別にここで最後までやろうって気なんかさらさらねーよ!!」 そしていい加減に起き上がった赤羽は簡単に雪を払い落とし、落ちたままのサングラスを拾って目にかける。ギターケースも拾い付着した雪を簡単に振り払って、中の本体が無事な事を祈った。言い訳がましいコータローの言葉を半分聞き流しながら軽く辺りを見渡す、どうやら目撃者はゼロのようで赤羽は安心した。天気ももう先ほど一瞬見せた太陽も陰を潜み本格的雪空へと変貌している。 「雪が降りそうだ…」 「ん?まだ降る気かよ…迷惑な天気だな、折角のコレ消えちまうじゃねーか」 「……これ?」 そして何かを発言したコータローはあっさりと種明かしに、先ほど二人が倒れこんでいた場所を指差す、そこは当然だが人型に雪が潰されていた。 「情事の跡」 更にとんでもない台詞も飛び出して、赤羽はもう仏の顔もしていられないと問答無用に蜘蛛の毒を発動させる。するとパァン!と面白いくらい簡単にコータローは吹っ飛んでいった。そして先に出来た人型の隣にコータローの情けない形の型も出来上がって赤羽は大層満足した。 「いって〜〜っっ!!急に何すんだよ!!テメーなんか雪の中スッ転んだくせによっ、明日皆に言いふらしてやる」 「好きにすればいい」 「ケッ…、もっと言い返してこいよっ」 「どう返して欲しいんだ?」 言葉の応酬など赤羽相手に期待などしてはいけない。歳相応でない落ち着きぶりは他の追随を許さないし(例外はいっぱいいるが)コータローが安易に追いつけるほど優しくないのだ。拗ねた顔を見せている限りはまず追いつけやしない。 「あーもういいっ!お前とまともな会話なんか成立するはずねーからなっ…て、どこ行くんだよ!」 すると黙々と来た道筋を既に話も聞かず歩いて戻る赤羽の姿があった、だが特に返事を期待していた訳ではなかったので聞いていなかった事に関してはうるさく言うつもりはない、しかし勝手に去っていく事には黙っていられなかった。 赤羽はもう立ち止まらずに「帰るんだ」と相変わらず答えはシンプルで、今度は足元に気をつけながら歩いていく。コータローも同じく少し離れた位置で後を追い、ひょこひょことどこまでもついて回る。 「帰んのかよ…、まっこのままここにいてても風邪引くだけだしよ…って、ハーックション!!」 「………(早速クシャミか…)」 けれど何か物足りなさ気なコータローの声そして態度に赤羽はフーと息をついて、振り返りはしなかったがたった一言だけ相手を救済する言葉をかける。その瞬間、自分でも甘いと思ったが言ってしまったものはどうしようもなかった。 「…来ないのか?」 文法的に色んなものが抜けていたが、それだけでも充分意味は通じて、ちょっと萎れかけていた耳が途端ピン!と立ち上がったコータロー。そして「行く」と即答だった。ずるる…と鼻をすすりながら気がつけば凍死寸前だったが(自業自得だけれども)、家に行けば今度は風邪を移す可能性もあるが、それでも全く迷う事なく即答で、けれど正直頭の中は邪な事でほぼ占められていた。だが頭の良い赤羽はそれくらいの事は当然分かっているだろう。分かっていて尚招待しているのだ。 「早起きは三文の得って奴か…」 ぼそりとコータローが本音を呟くと、すかさず赤羽もらしい返答を寄越してくる。 「……意外だな、そんな言葉を知っているのか…」 「んだとーーー!!!今バカにしやがったなーーー!!!」 こんな賑やかな、ようやく色んな意味で噛み合い始めた会話を交わして二人は学校を去っていく。するとハラハラと雪が降り始め、二人は心なしか歩調を速めて帰宅を急ぎ、雪の積もった道に足跡を残していく。けれど真新しい雪が徐々に全ての痕跡を埋めていき、やがてグラウンドに残された人型も何事もなかったように消されていくだろう。 だが、あの時交わした二人の情熱は消えない。 永遠に雪になど埋もれず二人の中で存在し続けるのだ。 END. |