*噂の検証−2−* 前回の『テンプテーション』の件でコータローは見事に打ち負かされた。 その記憶はまだ沢井の記憶に新しい…というか、ほんの三日前の出来事。 検証してみようという話題を部員達に持ちかけたのは沢井で、勿論コータローには内緒にしていようと心に決めていたのだが、相手の押しに負けてついつい話してしまったのが間違いだったのだろう。 我ながら迂闊だったと沢井は自分の席に座りながら教室で反省している。 アレ以来コータローはやたら強がって何ともない風を必死で装っているが、どう見ても『テンプテーション』の影響が出ているのか、必要以上に赤羽に嫌がらせをけしかけようとはしない。コータローらしくなく怖れをなしているのか、まだあの恐怖から抜け出せないらしい。でもまたそんな自分が許せないコータローは変に気合だけが入っており、何だか端から見ていて痛々しいと言うか、やはり沢井は責任を少し感じていた。 どうにか打破したいともがくコータローの手助けをしてやりたいと思っている。 けれどそんな方法ある訳がなく、また相手は赤羽という怪物だ。見た目はカッコいいし意外と優しいし言動はおかしいけど紳士で決して悪い人間ではない。まず弱点など見当たらないし、あれほど完璧な人間も珍しいだろう。コータローがやたら意識して嫌がらせを行うのも、いい事とは思えないけど気持ちは分かる。 「コータローに勝ち目なんてないよね〜、はあ…」 「どうしたのよジュリ、珍しく溜め息なんか零しちゃって、あっまさか恋の悩み?」 「違うわよ、ちょっとうちの部のことで…、どうしようもないのが二人もいるから…」 「あー赤羽とコータローでしょ?凄いの二人も飼ってるわよねアメフト部は、マネージャーは大変だよねー」 「本当にね、また仲悪いから…もうー!!」 「ああ、そういえばさあ、赤羽の伝説って知ってる?あの赤い瞳に見つめられたら〜って奴」 そしてその話題を振られた時、沢井はピクリと反応し途端不機嫌に陥る。 「知ってるわよ…、もうむしろそんな噂のせいでストレス溜めてるんだから!」 「急に怒らないの!私今日また新たな噂聞いちゃったわよ?教えてあげよっか〜」 「もういい!噂はっ!!って…待てよ…?」 ―前はコータローの完敗だったけど、今度のも負けるって決まった訳じゃないし、もう一回リベンジで噂の検証を再度させるってのも手かも…よし!!― 「何々!?教えて!!」 そして沢井はいい機会を得たとこの時は喜ぶのだけど、肝心の噂の内容を聞いてからは愕然として、むしろ聞かなければ良かった…と後悔した。 放課後。 部の練習前、一人悩んだ様子の沢井にコータローが気付く。 「おい、何ボーっとしてんだよ」 「なんでもない、ちょっと滅入ってるだけ」 「何だよそれ、滅入ってるって悩み事かなんかかよ、だったら俺が聞いてやるぜ」 「いいんだってば!どうせ言ったってコータローにはどうしようも出来ないから」 ピククッ。 端から用なしと言われたも同然な沢井の一言に、ムカーッとコータローは単純に頭にきた。手に持っていた櫛を強くギリギリ握り締めて、力の限りの大声で突然叫び出す。 「んなの!やってみなきゃ分かんねーだろ!!」 「ちょっっ…もう!急に大声出さないでよ!ビックリするじゃない!!」 「だからお前が最初からスマートに言わねぇからっっ」 「ってもう本当にいいってば!何でもないから!!」 「また俺だけに隠し事っっ、って…うわっっ!!」 普通に立っていたはずのコータローの身体が突如何らかの力が加えられて大きく吹き飛んだ。パァン!!という豪快な音と共に。 「いってー…急に誰だよ!って赤羽かテメー!!!」 「…女性に当たるな」 「別に当たってた訳じゃねーよ!ちょっと問い詰めてただけだぜ!お前こそ事情も知らずに首突っ込んでくんな!ペッペッ!!」 そしていつもの風景がそこにあった。赤羽自身を狙わずギターに照準を当ててコータローは自身曰くスマートなツバ攻撃を仕掛けると案の定赤羽は半分ムキになりながらコータローの愚行を抑えに掛かろうとする。呆然とするマネージャーの前で小競り合いを始めてしまった二人、もう沢井はぐったり疲れ切っていた。しかしコータローの言葉には相変わらず説得力がない。 「ちょっ、ちょっともうケンカはやめなさいってば!もう〜〜」 一応庇ってくれた赤羽には感謝するが、何かしらタイミングが悪すぎて事態は更に悪化。小競り合いが止まるまで沢井の頭痛も止まりそうにはなかった。 「…ちっきしょー赤羽の奴、アイツの顔見てるだけで腹立って仕方ねーぜ」 「もう無駄に噛み付くの止めなさいよ、同じチームメイトなんだから」 「………」 「まあ、ケンカするのも仲のいい証拠っても言うけど」 「なっ!?別にそんなんじゃねーよ!!腹が立つもんは腹が立つ!!大っ嫌いだあんな奴!!」 小競り合いが一通り終了した後、コータローと沢井はベンチに座りながらマッタリと時間を過ごしていた。 「はあ…ところでこの前は悪いことしたわよね」 「は?なんだよ?」 「検証の事」 「ゲッッ!!あんま思い出したくねーな…スマートじゃねぇ記憶だぜ…」 「はは、でも私も何とかもう一回挑戦するチャンス与えてあげたかったんだけど、無理だし」 「んん!?何だよそれ!他にもまだあんのかよ、ちょっ言えよ!」 「別にいいけど…今度ばかりは絶対無理だから、意気込んでも無駄」 「いいから言えよ、出来るか出来ねーかは俺が決めるぜ」 また前回と同じ道を辿るような気がするが、今回ばかりはさすがにコータローでも動けないだろうと判断した沢井はしつこく尋ねてくるので、ここは素直に話してあげようと例の噂を再び口にした。 「分かったから、とりあえず落ち着いてね?…えっと新しい噂なんだけど、出所は相変わらず不明だけど、赤羽とキスすると何か怖ろしい事が起こるって!」 そしてようやく新たな伝説とやらが沢井の口から語られた…のだが… 「………はあ?お前それっ、噂って言うより誰かの実体験じゃねーのかよ…、全くつまんねー噂ばっかり立たせやがって、あのヤローがスマートじゃねぇ証拠だぜ!」 あまりの?な内容の噂にコータローは笑うよりむしろ呆れ果てている。しかしとんでもない噂であることは事実で、本人の知らぬところでどんどんエスカレートしているらしい。だが確かにその噂では誰も検証など行えるはずもなく、沢井がもう諦めてコータローに話したのも頷ける。 「し、知らないわよ私だってそこまではー、でも誰かと付き合ってるとかそんな話聞いたこともないし、多分ここまでくれば誰かが面白がって勝手に伝説とか作ってんのよ、でも『テンプテーション』は誰かさんのおかげで立派に証明しちゃったけど」 「うるせーっ!!あれはちょっと油断しただけだぜ!!こっ今度こそは〜〜、あのヤロー!!おらー!赤羽どこ行きやがったー!!」 けれど沢井の些細な嫌味一つにコータローは過敏に反応する。よっぽど悔しい思い出なのか、突然頭に血が昇ったように湯気を立てて櫛で髪を梳きながら、まるでイノシシの如く一直線に赤羽が去っていった方向へ走り抜けていく。沢井が止める暇もなく、一体コータローがこれからどうするつもりかは知らないが、とにかくまずいと慌てて後を追いかけていく。 まさか…まさか…本気でこの噂の検証をしようだなんて思っていないはず…と一抹の不安を抱えて。 「コータロー!ちょっとどうするつもりなのよ!!落ち着きなさいってば!!」 「こそこそ逃げ回っていねーで勝負しやがれ〜〜〜!!!」 「いや実際逃げてたのアンタでしょ!!って勝負ってコータロー!!」 バタバタバタ〜〜〜と二人は慌しく走り回りながら、ひたすらコータローは赤羽のあの赤い髪だけを目印に探し回っている。とにかくどこにいても目立つ人ですから。 しかし部室を見れどどこを探せど赤羽は見当たらない。仕方なしに先輩に所在を尋ねてみれば、普通にベンチに座ってギター弾いてるよ?と言われて、二人はぐるりとUターンした。 「ああっ!?何でさっきまで俺らがいたとこに既に陣取ってやがんだ!!なめやがって〜〜!!」 「もう、ちょ…待ってよ…っ、も…無理…」 選手でない沢井はコータローの取る行動についていけずバテながら、しかし放っておけないと意地でも姿を見失わないよう必死で後を追う…が少し身体を離されてしまった。 そして視線の先に再び三日前の光景と同じようなものが広がり、思わず…早まらないで〜〜!!と沢井は叫ぶ。けれど無情にもコータローには届かない。 「やっっと見つけたぜ!こんな所でギター弾いてやがったのか!」 「………」 「今日と言う今日こそはギャフンと言わせてやる!!」 「………ギャフン」 「そう言う意味じゃね〜〜〜〜!!!!素で言ってんな!!」 下手すれば漫才みたいなノリで話が進んでしまいそうだが、今のコータローには前回の失敗の事が重く圧し掛かっており、どうにか挽回したいとそれだけで頭がいっぱいで冷静な判断など出来様ない事態にまで陥っていた。 一度走り出したら止まらない…そんな蒸気機関車みたいなコータローは今世紀最大の勝負事に出てしまう。まさに勢い…そうとしか説明のつかない世界へ… 座っている赤羽の真正面に立ち、なんと突然グラサンを剥ぎ取り、そんな驚くべき行動を取ったコータローに対し赤羽は少々不思議そうに俯いていた面を上げる。 そしてコータローと目を合わせるより前に相手の顔が降ってくる、まさにそのような状況だった。 顎を固定されて降ってきたと思えば、突然唇に生温かい感触が…… …っ!! その瞬間、時間が止まった。 力なく宙に伸ばされた腕に見たことないほど顔を引き攣らせたマネージャーの顔と、赤い瞳を少し大きく見開かせてコータローに勢いだけでキスされた赤羽の一瞬魂が抜けたような顔だけが現状をリアルに物語っていた。 絶対不可能とされていた第二の噂の検証を半分我を失ったコータローが自ら行ってしまった。常識的に考えれば幾ら復讐戦とは言え大っっ嫌いな相手にそこまでやれるはずもない…常識的に考えれば。しかし自棄は人を変えるというかとんでもない行動力を生み出すというか、コータローは今の時点で明らかに冷静さは欠いていた。大っっ嫌いな相手にキスしてしまえるなんて、本当にアホとしか言いようがない。 しかしこれはあくまでも噂の検証。 そして噂の内容は『赤羽とキスすれば何かが起こる』というアバウトな内容。 っていうか今うっかりこの二人の姿を見た者がいれば明らかに誤解してしまうだろう。 そんな不名誉なことも何も一切考えずにコータローは行動に移してしまった。 マネージャーが口の端をヒクヒクとさせて立ち尽くし可愛い顔が醜く歪んで、見つめる視線の先の二人に果たして変化は訪れるのだろうか? だが意外とそれは早い時期に発動される… 突然暴力を振るわれたようにキスされて少々戸惑いは見せたものの、赤羽は今の触れ合っている状態からするりと妖しく手を伸ばして、そのまま……… なんとコータローの後頭部に手を回して、更に二人が密着するように深く深く唇を重ね合わせ始めた。ただ単調に触れ合うだけでなくいかなるテクニックも駆使して相手を翻弄し始める。 「んんっっ!!」 思いも寄らぬ赤羽の行動にコータローもさすがに度肝を抜かれたのか、それとも自分のしでかしたことの重大さをようやく知って我に返ったのか、どうやらスイッチが入ってしまった相手に今度はコータローがキスで攻められる。 チユウウウゥゥゥーーーーーーーーーーーーーーー。(あえて略) その時、コータローは宇宙の偉大さのようなものを口先から感じていた。 電流のようなものが流れてピシッと硬直したまま顔を真っ赤に染めている。 初めて味わう他人の唇の柔らかさと交わりに意識さえ手放しそうになる。 そして思わず目を開けるとそこには顔色一つ変えずに涼しい顔をしながら、この至近距離であの赤い瞳が静かに自分を見つめていた。 ―やっやべぇ!!テンプテーションにいいいい〜〜〜〜!!!!!― 全てが悪い方向へ進んでいき、更に舌まで差し入れられてコータローは文字通り…撃沈した。 マネージャーも呆然と見守る中、長時間合わさっていた二人がようやく離れる。赤羽がようやく満足したのかコータローを離してやるような格好となって、その後も何事もなかったように冷静にコータローがキスの最中に地面へ落としてしまったサングラスを拾って目にかけ、普通にギャーンとギターを鳴らしている。 そしてコータローは………全てを吸い取られてしまったのか、その場に倒れこんだ。 「えっあっ…、わーーっっ!!コータローしっかり〜〜!!」 一部始終…というか全部目撃してしまった沢井は、同じく魂が抜けるような感覚を味わってはいたが、また赤羽に打ち勝つことが出来なかったコータローの無残な姿を見て慌てて駆け寄る。 「ちょっと大丈夫〜!?だから早まるなってあれほど…」 「うっ…ううっっ……、た、立てねぇ…っ!」 「ほんと、ばかっ!何考えてんのよ!!…て、あ………」 何かに気付いた沢井は思わず息を飲む。 なんと自分達だけしかいないと思われていたこの現場の周りには、一部始終を見ちゃいましたと言わんばかりの顔が歪みっぱなしのアメフト部員達全員勢揃いであったのだ。 「み…見られてるし〜皆に、もう二人ともバカとしか言いようが……」 けれど赤羽はまるで他人事で痛手などまるで受けてはいない。 コータローは他を気にする余裕がもうない。 「うっっ!!やべっ……!」 「ちょっ…どうしたのよ!どっか痛いの?」 そして突然コータローが唸り出したかと思いきや次に発した一言が… ・・・ ・・・・ ・・・・・ 「………うっ……、勃っちまった」 シーーーーン。 よっぽどさっきのが効いたのか、こんなグラウンドの真ん中で爆弾発言をしてしまったコータロー。若さゆえの過ちか… そのあまりの内容の下品さに沢井は開いた口が塞がらない、フルフルと手が震えて顔は女の子らしく頬を真っ赤に染めて、強烈な拳骨をコータローの頭にお見舞いする。 「最っっ低!!下品っっ!!!!」 バッコーン!! デリカシーの無さ過ぎる男には遠慮なしだ。 しかし問題はこれからで… コータローの言葉を受け、ギターを弾くのをやめた赤羽は沈んだままのコータローを見て額を押さえて「フー」と息を吐く。そして何を思ったのかスッと立ち上がり「仕方ない…」と呟いて、無気力状態のコータローの腕を掴みズルズルと引き摺りながら皆の見ている前で二人は部室へと消えていく。 「えええ〜〜〜!!!ちょっとちょっと赤羽〜〜〜!!!」 沢井の叫びも虚しく、バタン…と誰もいない部室へ消えてしまい、それからしばらく言い争うような声が…コータローの声が外まで漏れている。 「おいっ!お前なにすんだよ!!おいっっ!!待てってーーっっ!!うぉわぁあ!!」 物凄く必死な声が聞こえてきて、外で固唾を飲んで見守るしかない人達に中が壮絶な修羅場な事が示される。そしてまた音が消え、シーーン…と辺りが静寂に包まれた時、ギイ…と涼しい顔をした赤羽一人だけ部室から出てくる。 そして手の甲で口を拭っている姿を目撃した時、その生々しさから沢井もその場で気を失って倒れた。 またこうして…コータローの捨て身の頑張りのお陰で、噂は真実だと証明された。 当然だが、その日は一日使い物にならなかったという… 後々赤羽の恐るべきソレをコータローは『スパイダー・ポイズン』と命名する。 END. |