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*穏やかな休日* 今日は休日、学校も部活もなくゆっくりと一日を過ごせる貴重な一日。 日々酷使させている身体を休めるにも、とても有効な一日でもある。 赤羽は一人自宅マンションで、リビングのソファーに腰掛けながらギターを弾いている。 本当にこんなゆっくりと過ごせる日は久々で、今日はあえて何もしないと決めているのか資料に埋もれることもなく外出することもなく、休息を取っている。 一人の空間にも随分慣れたことで、二度目の春は実に穏やかなものだった。 またすぐに忙しくなるが、その前の最後の休日…と言っても過言ではないだろう。 眠気を誘われるような午後ののんびりとした空気に、赤羽は少し眠ってしまおうかと思った。特に眠りたいわけでもないが、何となく目を閉じてそのまま静かに午後を過ごすのもいいだろう。本当に眠ってしまわなくても良いのだ。 しかしそんな穏やかな赤羽の午後も、外から聞こえてくる慌ただしい足音によってかき消されようとしている。 バタバタバタバターーーーーー!!!!!! ああ、このパターンは…と脳裏に浮かべているうちに案の定インターホンが鳴らされた。予感は的中、訪れた者も容易に想像がつく。もうモニターで人物を確認する必要もないほど。 赤羽は仕方なしに目を開いてギターを置き、ゆっくりと立ち上がる。そして玄関に向かいドアを静かに開けた。 するとやっぱり良く見知った顔がそこにある。 「よっよう!とにかくちょっと入れてくれ!事情は後で話すから!早く!!」 やたら額に汗を浮かべたコータローがそこにはいて、赤羽が何も言わないうちに素早く部屋に足を踏み入れる。どうやら誰かに追われているらしい。 赤羽はコータローを部屋に収容した後、再びドアを閉めて鍵も掛ける。 どうかしたのか、と事情を聞く前に先に向こうが口を開く。 「いいかっ!?もしジュリが来ても絶対ここに俺がいるって言うなよ!?」 そんな呆れた発言が飛び出し、赤羽はフーと溜め息を吐いた。追われるには追われるだけの理由があり、きっとコータローが何らかの問題を起こしたのだろう。それが軽いか重いかは当人同士の問題ではあるが。 だからここで事情を聞くような真似はしない。 コータローは何かに怯えるように部屋の隅で身体を縮こまらせている。 とりあえず自分は巻き込まれた格好で、さて赤羽はどうしたものかと考える。 けれど特に慌てる必要もないと、またソファーに座り直してギターを抱えた。ここに沢井が来るかどうかは予測できないし、訪れたとなればその時はその時だと冷静に構える。 だが数分が経って、本日二度目の慌ただしい足音が響き、そしてインターホンも鳴らされる。一応モニターで確認はしたが見事コータローの宣言どおりそこには怒りを露にした沢井が立っていた。 するとコータローは口パクで絶対言うなよ!と訴えかけてくる。 しかし沢井がここに来るということは、少なからずともここにコータローがいるという確証を持っての行動だろう。そうでなければ訪れるわけがない。 赤羽はまたギターを置いて玄関へと向かう。女性を待たせるわけにはいかない。 キイ…と静かに開けると、沢井は目を合わせた瞬間に口を開く。 「コータローいる!?いるよね?出して!!」 「……フー」 本当に困ったものだ。折角の穏やかな休日が失われようとしている。 だが元はといえばコータローがここへ逃亡したことが原因である。他に行き場所は幾らでもあったはずだ、それなのに敢えてここに逃げ込んできたのだ。 けれど何故ここに逃げ込んできたのか…赤羽は知る由もないが、コータローはかくまえと言うがその義務は自分にはないし、だからといって引き渡す義務もない。 深い事情も知らなければ、善し悪しさえも判断できない。 どうするかは自分の自由だ。ただ自分の音楽性を崩さず対処すればいい。 「コータローがどうかしたのか?」 「あのバカ今日の約束破って逃げたのよ!?皆で買い物に出掛けるって言ってたのに急に面倒くさいとか言って逃げ出して!あいつのお母さんとかお姉さんとかカンカンなんだから!」 「………」 一方の話を聞く限り、約束を破って逃げ出したコータローに罪があるように思える。だがきっと本人はその約束を認めようとはしないし前々から断っていた!と言い張るだろうと予測した。実際コータローも盗み聞きしながら、赤羽の推測どおりのことを心で主張している。 どこで食い違ったのか、巻き込まれた赤羽は遠い目をする。 「いるんでしょコータロー、ここのマンションに入っていくのこの目で見たんだから、絶対ここにいる!だから出して赤羽」 さてさて本格的にどうするか…赤羽は少し考える。 どうしたって良い、というのが逆に判断を鈍らせて答えを先送りにしてしまっている。 だがこれ以上は時間は引き延ばせないだろう、そろそろ何らかの答えを導き出さねばいけない。 「コータローは…」 そんな赤羽の言葉に目の前の沢井も部屋の中のコータローも耳を傾けて注目する。 そして続けられた言葉は、 「ここにいる」 ―だ〜〜っ!!言うなって言ったのに赤羽のヤローー!!― 「やっぱり!」 赤羽の返答に各々が違った反応を見せる。それはそうだろう、コータローは裏切られて沢井は更に確信を持つ。 けれどコータローも赤羽が女性に優しいことは知っているし、嘘をつくのは音楽性じゃないとか何とか以前言っていたのも思い出す。 ならばこれは仕方がない結末かもしれない、けれどだからといって赤羽を許せるわけじゃないが。きっとこれから摘み出されて、荷物持ち決定の地獄の買い物とやらに連れ回されるのだ。 ―最悪だぜ…あんな奴頼った俺がバカだったーー!!― 「コータロー、出てきて!!」 沢井も部屋の中に向かって声を上げる。しかし一部始終を聞いていたとしても素直にコータローが出てくる様子もない。 だが、次に赤羽の取った行動は二人にとっても意外なものだった。 「…確かにさっきまではここにいた、だがもういないんだ…」 「は?」 ―んっ!?― 突然赤羽が掌を返したように先程と正反対のことを口にする。 当然驚いた沢井とコータローの二人は呆然としている。 「えっちょっと待って、ついさっきの話なんだけど…?そんな短時間でどこにも行くわけないじゃない」 「フー、ちょうど入れ違いになってしまったようだな。ここへ訪れたかと思えばすぐに飛び出して出て行ってしまった」 ―何だ何だ?赤羽の奴…そんな嘘すぐにバレるに決まってんだろう?― 妙な話の流れに二人は困惑気味で、コータローにすら嘘だと見抜かれるような赤羽の発言にらしくなさを感じる。当然コータローよりももっと利口な沢井は完全に開いた口が塞がらない状態だ。 「ね、ねえ赤羽、何も庇ったっていいことないよ?そんな見え透いた…」 「だがコータローはもういない、申し訳ないが…」 それでもこんな異常な空気の中、赤羽はまた同じ言葉を繰り返す。全く理論的ではないし、その発言には何の確証もない。けれども何故かいないと言い張っている。 ―マジで頭おかしくなったのか?…どう考えても不自然だろうー先にいるって言っておいてよ…― かくまってもらってるコータローも有り難いはずが、ついつい普段の赤羽の様子とは違いすぎている為不思議に感じている。 「あのーねえ赤羽?どうしたの?何か弱みでも握られた?いるの分かってるんだから……、っ!」 沢井もこんなおかしな事態にいつもの調子を狂わされ、赤羽の態度はいつもどおり柔軟で冷静で何も変わっていないように見えるのに主張だけがやたらと一点張りで不自然にも程があった。 けれど逆に相手を心配するような声を掛けると、その途中で赤羽はふっと表情を変える。 それを見て沢井はもう何も言えなくなってしまった。 「あ……、も、もう〜っ!」 ―何だ何だ?外では何が起こってるんだよ?― 一人意味不明のコータローは部屋の中でもどかしい思いをし続け、やがてジュリの足音が遠ざかっていくのを耳にする。何と赤羽が追い返したのだ、あの…女性を尊重しろだとか敬えだとか説教たれる赤羽が。 しばらくして赤羽もドアを閉めて部屋の中へ戻ってくる。 それを信じられないという顔で出迎えるコータロー。 「おい、どういう風の吹き回しだよ」 「さあ…特に理由はない」 赤羽に直接尋ねても、何だかはぐらかされているような感じで、コータローはスッキリしなかった。一体何故あのジュリが、ここに自分がいるのを分かっててあそこで潔く引き下がっていったのか、赤羽の言葉なんて誰がどう聞いても嘘だと分かるものだ。 「まあ助かったけどよ…」 「買い物くらい、付き合えばいい」 すると今度は突然責められるような言葉が吐かれる。この変わり様は一体なんだというのだ、しかしかくまってもらった恩は忘れていないがここは黙っていられない。必死に弁明する。 「お前は知らねぇからそんなことが言えるんだよ!マジで最悪なんだからな?大体もうガキじゃねぇのに誰が家族と買い物なんかによ!荷物持ちにされるのがオチだろ!」 「荷物くらい、持ってやればいい…」 「嫌だ!絶対嫌だ!!どうせいいように使われるだけだぜっ、死んでも行くかよ!!」 こんな風に赤羽はどちらかというと向こう寄りの考えを持っているのに、何故あの場面でジュリを追い返したのか、やっぱりコータローにとっては謎だった。 けれどもう何を言っても今日一日分の平穏をコータローは勝ち取ったのだ。 今更グチグチ垂れたところでジュリが引き返してくるわけでもなければ赤羽に摘み出されることもない。 寛いだ者勝ちだ。 赤羽も一人の空間ではないが、コータローと二人の空間でも特に気にすることなく、また最初のようにソファーに腰掛けギターを抱えて、束の間の休息を楽しむ。 穏やかで少し賑やかな休日になっただけのこと。 「しかし何か…あ〜腹減ったな〜、何かないのかよ」 「好きなものを幾らでも」 「セルフサービスかよ!!」 赤羽の休日仕様で、コータローと一緒でも本当にゆっくりとのんびり過ごすつもりだ。 自分らしくない行動を取ってまで、この男を迎え入れて自分の空間に招き入れて、しかし別に後悔はしていない。 ただ自分がそうしたかっただけなのだ。 嘘をつくのは自分の音楽性でないのは確かだが、一度は本当の事を告げ、そしてあの程度の嘘をついたところで誰もがはっきりと分かるものであったし、赤羽も気付かれていると知った上で敢えて同じ言葉を繰り返したのだ。 この場にいる全員に気付かれていたのだ、それならばあれはもう嘘というレベルでもない。 赤羽自身ですらコータローがここにいるのを認めているのに、沢井には強引に、けれど自由意志でお引取り願ってしまった。 赤羽は自分でも稚拙な行動を取ったと思わなくもない。 冷静に考えれば随分とバカげているように思えるが、それでも赤羽が何となくそうしたかったのだ。 特に深い理由はなく、本当にただの気まぐれと言ってもいいほどに。 相手をしなければコータローが一人で騒ぎを始めてしまうが、それをここから眺めているのも一興。 決してこの雰囲気は苦手なものじゃない。 だがおもむろにソファーに寝転んできて、自分の膝に頭を置きギターの演奏を邪魔されるのだけはいただけないが。 けれどそうなればそうなったで、赤羽はギターを置くし自分が招き入れたコータローを歓迎する。 とても有意義な休日だ。 そしてその頃、赤羽に敗北を喫したジュリだが、呆れて半分拗ねつつも、でもどこか仕方ないと思えるのか諦めた表情で、無理やり納得させられて来た道を引き返している。 まさかあんなに頑固としてコータローを庇い立てするとは…あんな見え透いた嘘とも言えない嘘で半ばごり押しで。 それが何か意味のある行動のようにも見えなかったし、本当にただの気まぐれのような貴重で珍しい赤羽と出会った。 極めつけは、引き下がろうとしなかった自分に対して最後に見せた、あのどこか申し訳なく思っているようで見逃してくれと優しく訴えかけているような穏やかな微笑を浮かべた顔。 あんなにキレイに微笑まれたら、もう黙って帰るしかない、とジュリは思わされた。誤魔化されたわけでもないが、もう降参するしかない状況に追い込まれた。 それにきっとこのまま粘っても赤羽はコータローを出さなかっただろう。 「はあ…また随分可愛い笑顔だったわ…」 ジュリも特に赤羽に対し怒りを露にしているわけでもない。 結局見逃したのは自分だし、勿論今回は赤羽に免じて引き下がったのだけど、本当に貴重なものが見れてそれはそれで満足もしている。 最近は少し穏やかな表情をするようになったけれども、面と向かって微笑まれて、顔がいいというのは恐ろしいとジュリは思った。 あんな赤羽、滅多に見られるものじゃない。 「まっコータローにならいつでも文句くらい言えるしね」 もうここは開き直って帰ることにした。 追いかけたけど逃げ切られてしまっては仕方がない、またとんでもない隠れ家を見つけらてしまったものだ。 けれども今日はもう良しとして、ジュリも見過ごされてやるのであった。 END. |