*神への冒涜* 盤戸スパイダーズの面々は練習終了後、部員同士の親睦をより一層深めるために某大手チェーンのドーナツ屋へ向かっていた。たまには息抜きも必要と先輩の優しい気遣いでもあった、毎日秋季大会に向けて厳しい練習に臨んでおり心身ともに部員たちは皆疲れ果てているだろう。まあそんな柔な連中ではないと先輩も分かっているが、こういう機会は大切だと今こそチームワークの重要さを知ってもらいたいと考えていた。 しかし部員で特に心配があるのはコータローと赤羽だけであって、他は人間関係も全てが上手くいっており今更チームワークの重要性なんて説く必要もないのだが。 今も部員全員でワイワイと仲良く店に向かっているというのに、その二人に関しては間にマネージャーを挟んで、うすら寒い空気を醸し出している。先輩二人も心配そうにハラハラと三人を見守っているが、しっかり者の沢井もついている事からここは全面的に任せようと敢えて何も口を挟もうとはしない。 そして店内に着いたアメフト部御一行は、運良く大人数分の空席があり、そこへ固まって座ることにした。特に並びなんて気にせず皆適当に座り始めるが何故か一番奥に座った赤羽の前にドカッとコータローも態度デカそうに陣取る。そして部員は密かに…嫌いならわざわざ向かいに座ることもないのに…と新たな争いを生んでしまいそうな席の並びにゾッとした。けれど沢井がしっかりとコータローの隣に座ってお目付け役を買っているから、まあ最悪の事態だけは避けられるだろうと安堵する。 この盤戸スパイダーズの為に色んな物を犠牲にしてここへ残ってくれた赤羽の事をコータロー以外の部員は皆真剣に心から感謝しているのだ。実力的にもっともっと上を狙える天性の才能を持つ赤羽だが、勿論色んな理由があるにしろ自分達の為に秋季大会にまで被ってしまう転校後の出場停止期間六ヶ月のハンデを背負ってまで留まってくれたのだ。 だから部員達は赤羽になるべく不自由なくこの盤戸スパイダーズでのびのびと嫌な思いなどせずに心地よい空間を常に提供していてあげたいのだ。楽しく過ごしてもらいたい、ここに残った事を後悔しないように。赤羽の為にも快適な環境作りを努めたい… けれどそんな部員達の悩みの種はまさにコータロー自身であって、もう赤羽の何が気に入らないのか、暇さえあれば嫌がらせを実行したり憎まれ口を叩き挙句の果てにツバまで吹き掛けてしまう始末。しかし懐の大きい人間の出来た赤羽は特に気にする様子もなく、今はまだ平和を保っているがいつ愛想を尽かしてここを出て行ってしまうか…部員達は心配で心配でならなかった。 だがコータローに何を言っても無駄で、あれは彼なりのコミュニケーションの取り方だと無理やり理解するしかないが、せめてもう少し赤羽に嫌がらせをするのを控えてほしいと願っているのだ。 そしてコータローも大切な仲間。部員にとっては赤羽よりも近い存在。友達として接しやすい分扱いが少々酷くなる事もあるが嫌っている訳がなく決して悪い奴でもないのだ。 そして赤羽は自分達に残された希望。完璧なまでの能力を備え持ち、近寄りがたい雰囲気を持つ分神聖視されて、でもその人の良さから誰もが憧れ尊敬の念を抱き、まさに彼らにとって『神様』そのものなのだ。 「じゃあ買ってこよっか、あ…赤羽はドーナツって食べるの?」 一先ず店内で場所を確保して、それぞれが財布だけを持ってドーナツを選びに向かうが席に座ってピクリとも動かない赤羽に対し沢井は声を掛ける。元々甘いものが苦手だと聞いていたのでドーナツも微妙なラインだと思ったから。 すると落ち着いた低い声で「いや…」とだけ返ってくる。やはりドーナツも余りお気に召さないようだ。だがコータローがすかさず横槍を入れてくる。 「あーお前のは任せろ、生クリームがたっぷり乗っかかった奴を大量に買ってきてやるぜっ」 まさにただの嫌がらせだが、そんな無い金をかけてまで赤羽に嫌がらせをしたいのか、沢井は「やめなさい!」と叱りながらも心の内では冷静にそんな事を考えていた。だが今日は他の部員も黙ってはおらず、赤羽に対し愚行を働き続けるコータローに正義の制裁を加えて、「赤羽さんはホットコーヒーですよねー」と代わりにオーダーを引き受けてズルズルとコータロー諸共レジに引きずっていく。 「あぁ!?テメーの分くらいテメーで買いに行きやがれ!!…っておわっ!!」 ボコッ! 「やめろ!コータロー、今日と言う今日は見逃さねーからな!!不必要に赤羽に迷惑掛けんな!」 一人では敵わないコータローにでも複数で取り囲んでしまえば自分達にも勝機はあると、少し学習した他部員達だった。だが確かに自分の分くらい自分で買いに行けばいいと思うのだが、赤羽ヒイキな部員達はそこまで頭は回らない。 まあ店内で落ち着くまでにだいぶ時間が掛かってしまったが、ようやく皆が席に座り雑談を交わしながら楽しい時間が流れ始める。が、やっぱり隅の席で向かい合いながら座っている赤羽とコータローに自然と視線が泳ぐ。 赤羽の前にはブラックコーヒーのみ。 コータローの前には4つほど積み上げられたド−ナツにお決まりのコーラ。 そしてまるで甘いものを見せ付けるかのようにガツガツとコータローは無遠慮に甘そうなドーナツを頬張る。だが赤羽はそんなコータローに視線すら向けず軽く無視状態だ。見ているだけで苦痛を伴いそうな甘ったるい食べ物を最初から視界に映さない作戦だ。特にコータローの食べっぷりは要注意だ。 けれどそんな赤羽を軽く見逃す訳がなく…コータローの挑戦は尚も続く。 「おい、何でお前だけコーヒー飲んでやがんだよ」 「そんなのどうだっていいでしょ」 そして赤羽の代わりに沢井がコータローのくだらん質問に答えてやる。するとすかさず「お前に聞いてんじゃねぇ!」と隣から声を浴びせられる。全く黙って食べていられないのか呆れてしまう。それにそんなに赤羽が気に入らないならやっぱり最初から遠く離れた席に座れば良いだけの事、敢えて向かいに座り文句を言い続けたい理由が分からない。凄く無駄で、むしろ只からかいたいだけのように思えてしまう。 「好き嫌いする奴はスマートじゃねぇな…お前もドーナツ食いやがれ!」 「そう言うコータローも人を好き嫌いするのやめたら?それに別に甘い物食べなくったっていいじゃない」 「だからお前に聞いてんじゃねえ!!この目の前の愛想のねー奴に言ってんだよ!折角の先輩の好意を無にしやがって!」 「いやいや、いいからコータロー。ドーナツ食べるのは別に強制じゃあ…大事なのは盤戸のチームワーク…」 慌てて先輩も止めに入るが、コータローのこの執念深さは只単に嫌がらせしたいだけと言うよりも案外本人は真面目に許せないだけなのかもしれない。どっちにしろ人の好みをどうこう偉そうに言える立場でもないが。だが赤羽が甘い物が苦手と前知識がある分、やっぱり多少の嫌がらせ精神も持ち合わせているのだろう。もう素直に視界には入れず放置すれば良いものを… そして肝心の赤羽は我関せずな表情で大人の貫録たっぷりにコーヒーを渋く口に含んでいる。またその全く動じてない(無視?)態度がコータローにとっては余計に腹が立つらしく、次なる手を打って出る。 「食え!」 もう何の前振りもなく縦に伸びた丸いスティック状のドーナツを突然ずいっと赤羽の目の前に差し出す。誰の意見にも耳を貸すことはなくコータローは我が道を行く。そんなコータローを横目に呆れ顔の沢井は相手にするのも疲れたのか止める事なく呑気にシェイクを飲み始める。当人同士の問題はなるべく当人同士で解決すべきだ、面倒もここまでくれば見きれない。他部員も席が離れている事から口出しも出来ず、異様な雰囲気を放っている隅の二人の動向をゴクリと固唾を飲んで見守っている。 赤羽に食って掛かるな、余計な事するな!とどれだけ注意しても今更コータローが聞く訳がないのだ。 「………」 だが赤羽も頑なな所があって、どれだけしつこく何かを強制させられようとしても我を曲げないのが彼の音楽性なのか、口前にドーナツを持ってこられても口を開ける気配はない。ただジッとコータローと正面から視線を合わせている。 けれどもっともっと頑ななのはコータローで、このまま素直に引き下がる訳もなく相手が一口でも口にするまで待つつもりでいた。 「食え」 「…もういい加減にしなさいって、ドーナツ食べないのがそんなにいけない事?それに赤羽も食べないわよ」 「これはそんな超甘なドーナツじゃねえよ、一口でいいから食え!折角みんなで来てんだぞ、一人だけんなワガママは言わせねーぜ」 確かに一人だけ何も食べずコーヒーだけを淡々と飲んでいる赤羽の姿は浮いていると言えば浮いているのかもしれない。まあでも個人の自由ではあるのだが、協調性を大事にするコータローは例え相手が赤羽でもそういう点で許せなかったのかもしれない。意外とチームの事を考えての行動だったと取れなくもない。 沢井や先輩に他部員達は、一人違う空気を醸し出す赤羽に手段はどうあれ自分達の輪に入れと言うコータローを見直す。一見子供じみているが大人な意見でもあり関心度がぐっと高まる。そして赤羽も何となくコータローの発言に心を打たれたのか差し出された目の前のドーナツをジッと見つめて興味を多少は抱いたようだ。けれどまだ口は開こうとはしない。 「おらっ、さっさと口開けろ…」 赤羽の心が動いたのを見逃さなかったのかコータローもここぞとばかりに強引な態度に出て、前に差し出していただけだった棒状のドーナツを突然赤羽の口に押し付ける。 「んっ!」 しかし口に触れた瞬間、いくら超甘ではないドーナツとは言えドーナツはドーナツ、その独特の甘い風味が鼻を突き口先からも感じられて赤羽は思わず身を引き表情を苦痛に歪める。 「おら逃げんじゃねぇ!しっかり口開けて味わいやがれっ」 けれど逃がす気のないコータローも何度もその棒状のドーナツを赤羽の口に押し当てて、無理にでも食わせてやろうと躍起だ。甘い物が苦手な赤羽の嫌がる態度や表情も絶妙で、少し恐れもなしているのか身体を小刻みに震わせている。 だが赤羽とコータローは真剣勝負真っ只中だったが、そのやり取りを端から見ている皆さんの反応は決して微笑ましいものではなかった。何だかこう…もやもやとピンク色な場面に見えてきてしまうような…正直シリアスどころの話ではない。コータローが押し付けているのはただのドーナツだ、棒状のドーナツなだけなのだ、しかし赤羽の嫌がり方も妙に生々しくて、いつの間にかドーナツが違うものに見えてきてしまう… 「うっ…うう…」 「んだよ!俺の(ドーナツ)が食えねえって言うのかよ!!」 ブッッ!! もう会話のおかしさから、それぞれ鼻血やジュースを勢いよく噴き、素でやらかしている隅の二人を唖然と見つめる。うっかり今夜の夢に出てきそうな恥ずかしい映像が公共の場で垂れ流されている。隣の沢井が慌てて「やっやめなさい!」とコータローを止めるが、ノリにノってしまったコータローはちっとも言うことを聞かず更に行為はエスカレートし、じゃあサービスで蜂蜜つけてやるとベッタリとドーナツの先に取り返しのつかないとろりとした液状のものをつけて再び赤羽の口に押しやる。 「んんっっ!!」 すると脅威を感じるほどの甘い甘い蜂蜜が口先から中へと流れ込んできたのか赤羽はより一層辛そうに顔を歪め、そのありえない甘さから半泣きになり赤い瞳に涙が滲んでいる。かなり苦しそうに身体を震わせ口を開けられないでいる。するととろりとした液体はドーナツから唇に伝い、つー…と赤羽の口の端から流れ落ちていく。 「おい、零すなよ。ちゃんと舐め取れ…」 そして必死でせめて一口だけでもと考えているのか赤羽もおずおずと口をゆっくり開き始めて、甘さに苦痛を浮かべながらもコータローの(ドーナツ)を口に含もうと嫌々ながら努力している。 ガンガンに夜の空気を匂わせている二人に、もうどうしていいか分からない他の連中は時が止まったままだ。沢井はヒクヒクと口の端を吊り上げて、先輩二人は赤面しながら俯いて、他部員一同は鼻血を噴いた鼻を押さえながら、でも目は離せないらしくて固まったまま二人を凝視している。もうドーナツが完全に別のものにしか見えなくなっていた… 「もっと口開けろっ、開くだろ!意外とウメーから食ってみろ!」 「っ…、ん…っ」 赤羽にとっては拷問のような時間だったが、コータローの気持ちを踏み躙る訳にはいかないと一生懸命ベトベトになった棒状のものをその口で受け入れようと涙を浮かべながら何とか口を大きく開ける…、けれどその瞬間を見計らったようにコータローが突然!! 今の今まで真面目で真剣だった目が怪しくキラリと光り、また皆の見ている前で思いっきり赤羽のようやく開いた口にそのドーナツを無理矢理ぐいっと奥に差し込んでしまう!!! 「…んっっ!!」 喉を突かれそうな突然の不意打ちを食らい苦しそうな声を上げ、その衝撃から驚いた赤羽は瞬時にそれを蜂蜜が飛び散るのも厭わず口から離し、慌てて手で口を押さえてゴホッゴホッと咳き込む。 そしてまた同時に目撃者の皆さんにより本日二度目の鼻血芸が見事に飛び出した。 ブ――――ッッッッ!!!! 先輩二人と沢井は例の如くジュースを吐き出して…。 悲惨な現場と化したドーナツ屋は一人だけ…コータローだけ無傷で、咳き込む赤羽を見ながら「引っ掛かりやがったな!」と愉快痛快にゲラゲラと笑いが止まらない様子である。最初から嫌がらせ目的だったのだ!見事に全員が騙されて赤羽もかなりの痛手を負ってコータローの一人勝ち状態である。だが一体自分が何をしでかしたのか、コータロー本人は純粋な嫌がらせでしかなかったが他の者にとっては常識を覆す何かが生まれた。 とりあえず沢井は一人調子に乗っているコータローを戒めようといつの間にか赤羽のギターを手に持ち、ガコン!と「卑猥!!」と叫びながら問答無用に頭に怒りの一撃を喰らわせた。そして「ギター!!」と突然取り乱して叫ぶ、こいつも天然ぶりが酷い赤羽。 上手く沢井はこの惨事の原因である二人を一挙同時に懲らしめた。 だがもうおぞましい光景を見てしまった他部員達は現実に戻れず皆ぐったりと顔を沈めて、妙に前屈みの姿勢で我先にとトイレに情けないながら駆け込んでいく。恐れを知らぬコータローが犯した神への冒涜、決して許せるものではないが人の手によって汚れていく神の姿は凄まじく下半身直撃で魅せられ艶めかしい色気ある罪なお姿だった。 人間、身体的に正直にならざるを得ないくらいに。 そしてこの日を区切りに盤戸スパイダーズの面々はもう二度とこのドーナツ屋を集団で訪れる事はなかった… END. |